今、世界のゴルフ界で最大の注目を集めている選手は、今年2月と3月のわずか2か月間に次々に3勝を挙げて世界ナンバー1に上り詰め、そして4月のマスターズを見事に制してメジャー初優勝、米ツアー通算4勝目を飾った25歳の米国人、スコッティ・シェフラーだ。
ニュージャージー州で生まれ、テキサス州ダラスで育ったシェフラーは、幼いころから地元では有名な天才ゴルフ少年として脚光を浴び、テキサス大学を卒業後、2018年にプロ転向。2019年に下部ツアーで年間2勝を挙げ、2020年からPGAツアー参戦を開始すると、ルーキーイヤーにいきなりフェデックスカップ・ランキング5位でシーズンを終え、「大型新人」と呼ばれた。
何度も優勝争いに絡んだが、なかなか初優勝が挙げられず、デビュー年も2021年も未勝利に終わった。
しかし2022年は2月のフェニックス・オープンの大舞台の上で「アイアンマン」と呼ばれるパトリック・カントレーを相手に堂々と渡り合い、プレーオフを制して、ついに初優勝を挙げた。
その3週間後には、アーノルド・パーマー招待で逆転勝利を挙げ、3月にはデル・テクノロジーズ・マッチプレー選手権を制し、あれよあれよという間に通算3勝を達成して、世界ランキング1位へ躍り出た。
「たくさんの人々に支えてもらったおかげで勝つことができた。どれだけ感謝しても感謝しきれない」
そして、彼の快進撃はさらに続き、「ゴルフの祭典」マスターズを2位に3打差で圧勝。オーガスタ・ナショナルの大観衆から温かい拍手と歓声で勝利を讃えられたシェフラーは、愛妻メレディスと抱き合い、この日までの長い日々を支えてくれた人々に感謝した。
そう、シェフラーはどんな時もとても謙虚で、周囲への感謝の気持ちを強く抱いている。だが、そんなシェフラーに対する感謝の念を決して忘れない人々がいる。そして彼らは、故郷ダラスからも天国からも、常にシェフラーを応援している。
アイディアから生まれた財団
シェフラーがテキサス州内のジュニアツアーに参加していたころ、いつも一緒にプレーしていたのは3つ年上のジェームス・レーガンだった。レーガンはシェフラーにとっては親友であり、兄貴分のような存在で、「いつか、プロゴルファーになったら、一緒に戦おうね」と誓い合っていたという。
しかし、2006年、13歳にして骨肉腫と診断されたレーガンの生活は一変した。化学療法、手術、放射線治療。入退院を繰り返し、あらゆる治療が次々に試みられた。
高額な治療費がどんどんかさんでいき、レーガンは治療に伴う苦痛とともに、がんと闘病することの大変さを痛感させられ、その中で、自分にできることはないだろうかと模索し始めたそうだ。
2008年のある日、レーガンはお見舞いに来てくれた友人たちから「もうすぐ誕生日だね。バースデー・パーティを開こう」と言われ、こんなことを思い付いた。
「ありがとう。でもバースデー・ギフトは要らないから、その代わり、一人50ドルずつ寄付してほしい。それで集まったお金を僕は病院の小児科に寄付するから」
それを聞いた友人たちは「それなら、寄付を広く呼び掛けてみようよ」と頷き、インターネットやSNS、口コミで寄付を募ったところ、「いきなり4万ドル(約470万円)が集まって、びっくりした」。
寄付金を集めるという目標を持って活動し、成果が得られたことは「楽しかった」と実感したレーガンは、翌年の誕生日には同じ手法に「チャリティ・ゴルフトーナメント開催をプラスしてみたら、今度は10万ドルが集まった」。
それならばということで、レーガンは友人や家族と一緒に「トライアンフ・オーバー・キッズ・キャンサー(Triumph over kid cancer)財団を創設。「がんとともに生きる子どもたちの人生を向上させたい」という願いを込めて創設された財団だ。
そのとき、レーガンとともに財団創設に加わったのが、幼少時代からレーガンを兄のように慕っていたシェフラーだった。
持ちつ、持たれつ
「がんは不意にやってくる。僕もがんだと告げられる以前は、スポーツ大好き、ゴルフ大好きなフツウの子どもだった。でも、がんは不意にやってきた。そして、それは誰にでも起こる可能性がある」
それが起こってしまった子どもたちの人生がどう変わってしまうのか。「それを世の中に伝えたい」とレーガンは言った。
「治療は痛かったり苦しかったり。お金もかかる。だけど、その中でも何か楽しみを見い出すことができたら、幸せな時間、幸せな日々を過ごすこともできる。それも世の中に伝えたい」
闘病を続けながら、財団の活動を楽しみながら行なっていたレーガンは、2014年、20歳で天国へ逝ってしまった。そんなレーガンに寄り添い続けてきたシェフラーは、自身がプロになり、PGAツアーの選手になってからも、寄付はもちろんのころ、時間を作っては財団の活動に参加している。
ルーキーイヤーだった2020年、シェフラーはある試合のプロアマ戦の中で行なわれたお楽しみ企画で優勝し、5万ドルを獲得。その全額をそのまま財団へ寄付した。
「スコッティが電話してきて、期せずして得たお金を寄付したいと言ってくれました」
レーガンの母親はそう振り返り、レーガンの両親や弟、そして財団は、そんなシェフラーの応援団となって、いつもエールを送っている。
かつて、レーガンは「みんなに助けてもらっている。だから僕も、がんになった子どもたちの助けになりたい」と口癖のように語り、いつもそれを聞いていたからこそ、シェフラーも周囲のサポートの1つ1つに感謝するようになったのだろう。
そして今、レーガンが立ち上げた財団にシェフラーがプロゴルファーとしてできる最大限の支援を行ない、レーガンの残された家族と財団は、そんなシェフラーの熱心な応援団となっている。
そういう「持ちつ、持たれつ」が、自然に続いていることが、とても素晴らしい。そして、そこに関わるみんなが明るい笑顔をたたえていることが、何より素敵に感じられる。