「類は友を呼ぶ」という言葉がある。その通り、米ゴルフツアーで仲良くしている選手たちを眺めていると、なるほど。類は友を呼ぶものなんだなあと頷かされる場面に頻繁に出会うから面白い。
あれは昨年4月のマスターズ開幕直前の水曜日の昼下がりだった。大会の舞台、オーガスタ・ナショナルでは「パー3コンテスト」が賑やかに開催されていた。
オーガスタ・ナショナルの一角には、試合で使用されるコースとは別に、パー3ばかりの9ホールで構成されるパー3コースがある。
毎年恒例の「パー3コンテスト」は、練習日に訪れた人々に楽しんでもらうために行われるお祭り的な催しだ。試合には出場しない往年の名選手から大会初出場のヤングプレーヤーまで多彩な顔ぶれが集い、自身の妻や幼い子供たちなど思い思いの「臨時キャディ」を伴って、和気あいあいのムードの中でパー3コースをプレーする。ときには臨時キャディにショットやパットを打たせてみることもあり、詰め寄せた大観衆は日頃の試合では見ることのできない選手たちのアットホームな一面を楽しむことができる。
昨年のパー3コンテストで、とりわけ明るいムードを醸し出していたのは、親友どうし、同組で回っていたジャスティン・トーマス、ジョーダン・スピース、リッキー・ファウラーの仲良しトリオだった。
8番ホールでティショットをピンそば30センチほどにピタリと付けたトーマスが突然、ティグラウンドの周囲のギャラリーの群れに向かって「僕のバーディーパットを僕の代わりに決めてくれる子、いないかい?」と問いかけた。
たった30センチの短いパットとはいえ、大観衆に見守られながらトッププレーヤーのバーディーパットに挑むことは子供たちにとっては勇気が要ることだったのだろう。誰もが尻込みしていたが、父親に背中を押された少年が一人、トーマスに導かれてロープの内側へやってきた。
トーマスは少年をグリーン上へ連れていき、パターの握り方や打ち方を丁寧に教え、正しくセットアップさせて、「よし、これで大丈夫。打ってごらん!」。
いざ、少年が打ち出した30センチのバーディーパットがカップに沈んだ瞬間、トーマスは少年とハイファイブを交わし、2人の様子を温かい笑顔で見守っていた同組のスピースとファウラーも「イエ―!」「やったね!」と喜びの声。大観衆も大きな拍手と歓声を送った。
スピースも。
トーマスは10歳のとき、ゴルフのクラブプロだった父親や祖父に連れられてマスターズ観戦に訪れ、パー3コンテストで「名前はわからなかったけど、1人の選手がギャラリーの中から子供を選び、パットさせているのを見て、僕は羨ましくてたまらなかった」。
そのときトーマスは「僕もパットに挑みたかった」と感じるとともに、子供にパットさせるファンサービスを提供できる選手がかっこいいと感じたそうだ。
自分自身がトッププレーヤーになった今、同じことを自分自身で実践し、子供たちや人々を喜ばせたトーマスの姿はとても素敵だった。
そして何より興味深いと感じたのは、トーマスと同組で回っていた親友2人もトーマス同様、子供たちや人々の夢を膨らませ、社会に尽くすトッププレーヤーであるという事実だった。
スピースの家族に対する想い、とりわけ妹エリーに対して抱く気持ちや姿勢については、以前にも、このコーナーでご紹介した。
スピースが7歳のときに生まれた妹エリーは神経に障害を持ち、兄は妹を「一生、僕が守る」と心に誓った。スペシャル・スクールの送迎をしたり、ときにはスクールでボランティアワークをしたり。スピース自身、そうやってエリーとともに成長していった。
妹は兄を誰にも負けないスーパーマンだと信じ、そんな妹を喜ばせたい一心で兄はゴルフの腕を磨き、プロになり、メジャーチャンピオンになり、世界一にも輝いた。
トッププレーヤーになったスピースが真っ先に行ったこと。それは、妹エリーや自分自身、スピース一家を支えてくれた地域の人々、機関、団体、社会に対する恩返しだった。
スピース・ファミリー財団を創設し、チャリティ・トーナメント開催をはじめとする様々な社会貢献活動を開始。幼馴染みでもあり、昨冬に結婚した妻アニーも、スピースと同じように社会に尽くすことに生きがいを感じている。
アニーは大学卒業後、ゴルフを活かして子供たちの人間育成を図る非営利団体「ザ・ファーストティ」に就職。昨今はホームレス生活やシェルター生活を余儀なくされている人々や子供たちの誕生日を祝って心を開き、社会復帰を促す非営利団体「ザ・バースデー・パーティー・プロジェクト」のディレクターを務めている。
ファウラーも。
そして、もう一人のトッププレーヤー、ファウラーが、どれほど子供たちや人々に優しい視線を向けているかについては、昨年のこのコーナーでお伝えしたばかりだ。
ある日、試合会場のロープ外の丘の上で、ソリのような乗り物の上から笑顔で手を振っていた幼い少年の姿に気が付いたファウラーは、試合中にも関わらず、少年に歩み寄った。
少年は気道に障害を持って生まれ、言葉を発することができなかったが、ファウラーはそれから5年間、少年とメールなどでやり取りを続け、試合会場では毎年会って交流と激励を続けてきた。
昨年大会直前に少年が息を引き取ると、ファウラーは少年の写真を付したバッヂを作って会場で配布。自らもバッジをキャップに付けて4日間を戦った。
やはり昨年、白血病との3度の闘病を経て他界したオーストラリア人選手、ジャロード・ライルを、「僕の親友」と呼び、支えてきたのもファウラーだった。
「誰かのために戦う選手は勝てないなんて謂れがあるけど、でも僕は誰かのためにゴルフをしたい」とファウラーは言う。
スピースも「僕にとって大事なものの一番は家族や妻、そして友人で、ゴルフは3番目、4番目にすぎない」と言い切る。
同じ方向を向いているスピース、ファウラー、トーマスらが親友であることが、「なるほど」と頷けるのではないだろうか。
類は友を呼ぶ――彼らと「同じ類」に是非とも入りたい、入ろうと私も心に誓った。