今年の全英オープンを制したイタリア人のフランチェスコ・モリナリは、12歳のとき、テレビ観戦した1995年の全英オープンで母国の英雄コンスタンチノ・ロッカが米国の当時のスター、ジョン・デーリーに惜敗した姿を眺め、「いつか自分がイタリア国旗を揚げてみせる」と心に誓ったそうだ。
モリナリの胸の中では、敗れたロッカは英雄で、ロッカを打ち負かしたデーリーは、いわば「悪者」だったのかもしれない。
それでなくてもデーリーは、ゴルフにおいても、私生活においても、次々に騒動を引き起こす「悪童ジョン」だった。
だが、そうでありながらも、センセーショナルなデビューを果たし、メジャータイトルを手に入れていったデーリーは、比類稀なる飛距離を誇り、「ロング・ジョン」と呼ばれて大人気を誇った。
そんなデーリーが52歳になった今でも大勢の人々から愛され続けているワケは、彼がとても心優しく、その優しさを人々に惜しみなく分け与え続ける「愛しきジョン」だからだろうと私は思う。
「ライオンは心優しい」
デーリーの昔を知らない方々のために、彼の“武勇伝”をざっとご紹介しよう。
1991年全米プロで補欠の9番目から突然繰り上がって出場することになったデーリーは、おんぼろ車を徹夜で運転して初日のスタートぎりぎりで試合会場に到着。コースチェックもウォーミングアップすらできぬまま、文字通りのぶっつけ本番で試合に臨み、持ち前のロングドライブを武器にして、いきなりメジャー初優勝を遂げ、世界を驚かせた。
無名の新人からメジャーチャンプになったデーリーはシンデレラボーイと持て囃された。それから4年後には1995年全英オープンも制し、米ツアー通算5勝を挙げた。
だが、飲酒、喫煙、ギャンブル、そして女性問題や暴力沙汰も相次ぎ、デーリー自身、「オレは米ツアーのエリート選手たちとうまく接することができない」と環境に順応できず、生きる気力を失いかけたこともあった。
しかし、華々しく輝いていたときも、成績が低迷していたときも、私生活上のトラブルに陥っていたときでさえ、デーリーがチャリティ活動を止めることはなかった。
生まれ故郷のアーカンソー州はもちろんのこと、全米各地に出向いてはチャリティ・トーナメントを開き、貧困で苦しむ人々や子供たちに救いの手を差しのべた。
自身のトレードマークとなるライオンをデザインしたヘッドカバーやTシャツ、小物などのライオン・グッズを販売し、その収益の大半をチャリティに回してきた。
「なぜ、ライオンをトレードマークにしたのか?」と尋ねたことがある。デーリーは「ライオンは獰猛だけど、心はとても優しい。見かけと違ってライオンのハートはとても優しいんだ。オレもそんなライオン・ハートを持ち続けたい」と、その意味を教えてくれた。
カントリー・ミュージックが大好きで、カントリー・シンガーを招いてはミニコンサートを各地で開き、ときにはデーリー自身がギターを片手にカントリーを歌い、CDも発売した。そうした活動も、すべてチャリティのためのものだった。
体の柔軟性を生かした独特のスイングは今も健在。デーリーのロングドライブは見ているだけで楽しい。 (photo: 舩越園子)
自分が苦しいときも社会貢献
2004年を最後に優勝から遠ざかったデーリーは、2006年にはシード権を失い、スポンサーは次々に離れていった。
さまざまな問題を起こすたびに米ツアーから科された出場停止処分は実に20数回。最初の妻を皮切りに4人の女性と結婚、離婚を繰り返したが、10数人目の女性にあたるアナとは長続きし、後に結婚。
スポンサーを失い、戦う場も失ったデーリーは、一時は「僕の転戦費用を出してください」と自ら呼びかけ、スポンサーを求めたこともあった。キャディ費用を抑えるために、妻のアナ(当時は恋人)が見よう見真似でバッグを担ぐようになった。
そうやって自分自身が苦労していた日々の中でも、デーリーはやっぱりチャリティ活動を続けていた。
「ジョンの心は誰よりもピュアなんです」
そう呟いたアナの一言に、周囲の誰もが頷いた。そういうデーリーだからこそ、成績はなかなか向上せずとも、プロゴルファーとしての彼をもう一度サポートしようという企業や団体が徐々に増えていった。
50歳になってからのデーリーはシニアのチャンピオンズツアーへ移行し、2017年のインスペリティ招待を制して、13年ぶりに勝利の美酒を味わった。
ゴルフにおいても私生活においても、自分らしさや楽しさを取り戻した昨今のデーリーは、より一層、社会貢献に意欲を燃やしている。
彼の活動の基本形はチャリティ・トーナメントとチャリティ・コンサートだが、毎年4月のマスターズの週は、デーリー自身がオーガスタナショナル近郊にトラックでやってきて、ライオン・グッズの即売会とサイン会を自ら開く。
その場所はレストランチェーン「フーターズ」の駐車場の一角だ。フーターズはデーリーをスポンサードしている企業の1つで、昨年はその場所でビキニ・コンテストも開き、オーガスタ近郊の夜が大いに賑わった。
最近ではデーリーのチャリティ活動への協力者が増え、みんなでいろいろな工夫を凝らし、寄付集めに努めている。
「ガレージで眠っている古いクラブを提供してくれたら、新しいクラブの購入に使えるクーポンをプレゼント!」
そんな文字が付された絵柄がデーリーの明るく豪快な笑顔とともに、しばしばSNS上に登場し、それを目にするたびに彼を思い出し、温かい気持ちになる。
心優しいライオン・ハートのデーリーは、昔も今も、ゴルフ界きっての「愛しきジョン」だ。