コラム・連載

在米ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

アーニー・エルスの山谷の越え方

2017.10.15|text by 舩越園子

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 今年9月、米フロリダ州がハリケーン・イルマに襲われ、大きな被害を受けたことは、みなさんもご存じのことと思う。そのイルマがフロリダに接近し、間もなく上陸するというニュースが流れたとき、自身の試合出場予定を変更し、自宅待機の道を選んだプロゴルファーがいた。
 メジャー4勝、47歳の大ベテラン選手、アーニー・エルスのことだ。イルマが接近してきたときは欧州ツアーのKLMオープンに出場しようとしていたが、「ハリケーンが上陸したら、何がどうなるかわからない。嵐に備えて、みんなが肩を寄せ合うときだ」と言い、KLMオープン出場を取りやめて、フロリダ州ジュピターの自宅で待機すると決めた。
 エルスが心配していたのは家族のことばかりではなかった。ジュピターにはエルスが創設した自閉症の子供たちのための教育施設『エルス・センター・オブ・エクセレンス』があり、ハリケーンに襲われたら、その施設や子供たちに何が起こるかわからない。だから彼は欧州行きを中止したのだ。

プロゴルファーの名前と立場を活用したい

 南アフリカ出身のエルスは1994年と1997年に全米オープンを制覇。2002年には幼いころからの夢だった全英オープンでも勝利を遂げた。
 その年に長男ベンくんが誕生。2003年も2004年もさらなる勝利を重ね、あのころのエルスは幸せの絶頂だった。長男ベンくんが自閉症だと診断されたのは、その矢先だった。
 ベンくんの治療に必死になったエルスは文字通り、東奔西走した。そして2005年、家族旅行中に膝を故障。それからは勝利から遠ざかり、成績は下降していった。
 そんなエルスがベンくんの自閉症をついに公表したのは2008年の春だった。それまでプロゴルフ界では、家族の病気を公けにすることはあまりなかったが、2008年にホンダクラシックで3年半ぶりの復活優勝を遂げたエルスは、あえて声を大にした。
 「以前の僕は自閉症という障害について知識もなく、考えたことも無かったけど、ベンが自閉症と診断されて以来、僕の人生も人生のプライオリティも、すべてが変わった。僕は息子の自閉症を告白することで世界の注目を集めたい。自閉症への理解を高め、研究や治療を進めるためには、大勢の人に知ってもらうことが必要だ。僕はプロゴルファーとしての名前や立場を、そのために活用する」
 それからのエルスは自閉症と向き合う人々とその家族のための財団を創設し、チャリティ活動や勉強会を開いては励まし合ってきた。以前は英国ロンドンに住んでいたが、ベンくんの治療のためにエルス一家はニューヨークへ移住。その後、財団の本拠地をフロリダに置いたため、フロリダへ移り住んだ。

手を取り合えば、大きな力になる

 素晴らしいなと思うのは、そうした活動を開始してからもゴルフの努力と鍛錬を続け、2012年の全英オープンを制して、さらなるメジャー優勝を遂げたことだ。
 2013年に欧州ツアーで勝利して以降は成績が低迷し、パットの際に手が動かなくなるゴルフの“奇病”、イップスにかかって、2016年マスターズでは初日の1番で60センチの距離から6パットを喫した。すると、世界中から何百通もの手紙やメールが寄せられ、「大いに励まされた」。
 昨夏ごろには早々にイップスを克服。「長くプロゴルファーをやっていれば、いろんな山谷に出くわす。僕はたまたまイップスに出くわしたけど、今はパットするのが楽しい」。
 そう、エルスは本当に次から次に山や谷に出くわし、どの山谷も乗り越えてきた。乗り越える力は一人だけでは不足でも、人と人とが手を取り合えば、大きな力になることを彼は肌で感じてきた。
 プロゴルファーとして手に入れた財力も自閉症とその家族のために投入。2015年8月に設立したのが、前述した自閉症の子供たちのための教育施設、『エルス・センター・オブ・エクセレンス』だ。3歳から14歳の部と14歳から21歳の部の2部制で、どちらも授業料は無料。すべての費用はエルスの財団と州の公費で賄われる。
 そんなエルスが今年8月の全米プロでメジャー出場100試合目を迎え、同じく100試合目を迎えたフィル・ミケルソンとともに祝賀会見に臨んだ。
 そして予選2日間を松山英樹と同組で回り、36ホール目にエルスは松山と並んで歩き、しきりにアドバイスを授けていた。
 「ヒデキには優れたリカバリー力がある。それを活かして頑張れと言った」

 いくつもの山谷を乗り越え、ゴルフでも人生でもリカバリーしてきたエルスだからこそ、将来性溢れる松山に「山谷を越えて行くんだぞ」と励ましたくなったのではないだろうか。エルスは、そんな素敵なプロゴルファーだ。

アーニー・エルス&松山英樹 photo by 舩越園子 今年の全米プロゴルフ選手権で予選二日間を松山英樹と
同組で回ったアーニー・エルス(photo: 舩越園子)

バックナンバー
  1. ゴルフジャーナリストが見た、
    プロゴルファーの知られざる素顔
  2. 82. 「破竹」のナップが願うこと
  3. 81. M・ホーマの「故郷への恩返し」
  4. 80. トレーラーハウスで誓ったこと
  5. 79. 命のリレー、命のショー
  6. 78. 奇跡の復活優勝、「ミーアのミラクル」
  7. 77. 「永遠の女王」A・ソレンスタム
  8. 76. L・グローバーを大きく開花させたもの
  9. 75. 大きなゴールのための小さな目標
  10. 74. 「三つ子の魂」子どもたちのヒーロー
  11. 73. 「誰かのため」を最優先するホブランは、だからこそ人気急上昇中!
  12. 72. 亡き母のために「優勝して財団設立」を目指したW・クラークの勝利
  13. 71. 「脚光」と「薄幸」のビッグスター
  14. 70. 何かに苦しむ誰かのために活動する「フェアウエイの妖精」
  15. 69. 「0.006%」を潜り抜けたバックリーがもたらす幸運
  16. 68. 故郷をジュニア天国へ。S・ストーリングスの社会貢献
  17. 67. 鉄人レースに挑んだ女子プロのチャレンジ
  18. 66. 「ナイスガイだからこそ」のメジャー制覇と社会貢献
  19. 65. 個性派M・A・ヒメネスの恩返し
  20. 64. 全英女子オープン覇者がプロゴルファーである理由
  21. 63. メジャー3勝、だからこそ「感謝」と「貢献」
  22. 62. アフリカに水をもたらすゴルフ界のレジェンド
  23. 61. 一人の少年を讃えたフリートウッドの想い
  24. 60. 母国を離れて戦うC・スミスの母国愛
  25. 59. コロナ禍の犠牲者のために尽くした素晴らしき選手
  26. 58. 親友が闘病しながら創設した財団を守り続けるプロゴルファー
  27. 57. 救った子供が未来を救う、だからこそ救いたい
  28. 56. 「みんなのハッピー」を目指す女子ゴルフのスター
  29. 55. バレステロスからラームへ、スペインのヒーロー誕生物語
  30. 54. マリア・ファッシは幸せを運ぶアンバサダー
  31. 53. 「小さな奇跡」を信じて戦う意味
  32. 52. クールなP・カントレーの温かい社会貢献
  33. 51. L・トンプソン流、ユニークな社会貢献
  34. 50. 母国への想いが奇跡を起こす!?
  35. 49. 無名の48歳の「好きな言葉」「嫌いな言葉」
  36. 48. B・デシャンボーの熱くて厚い義理人情
  37. 47. 絵を描き続ける「みんなのヒーロー」
  38. 46. 助けたからこそ、助けられたゴルフ人生
  39. 45. 夢を追いかけられる社会にしたい
  40. 44. 負けても笑顔を輝かせた意味
  41. 43. 優しく強くなったR・マキロイの社会貢献
  42. 42. ファンファーレで送り出したい全英チャンプ
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  44. 40. チャールズ・ハウエルの恩返し
  45. 39. メジャー・チャンプの恩返し
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  47. 37. 米ツアーの黒人選手の「声」の力
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  49. 35. 「世界を救うため」動いたジュニアゴルファー姉妹
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  51. 33. 「いつかは、私が」と誓った物語
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  53. 31. ケビン・ナの人気が静かに高まりつつある理由
  54. 30. ゴルフ界の「子育て」と「本当の女王」
  55. 29. 苦難を乗り越えた3世代の物語
  56. 28. 光が当たらなかった場所に光を当てる
  57. 27. 世界ナンバー1の「自分流」チャリティ
  58. 26. 「手作りゴルフ場」から出発したプロゴルファーの社会貢献
  59. 25. ゴルフ金メダリストが考える手作り感覚のチャリティ活動
  60. 24. 惜しみなく与える「DJ」の物語
  61. 23. 輝く未来を抱くチャンス
  62. 22. 帝王の優しき野望
  63. 21. 「パットの名手」は「チャリティの名手」
  64. 20. 「ケビン・キスナー」の名前と存在感
  65. 19. ゴルフの世界でも「類は友を呼ぶ」
  66. 18. ライオン・ハートのジョン・デーリー
  67. 17. 往年の名選手と名キャディからの贈り物
  68. 16. 「たった4勝」でも「メジャー無冠」でも、どんどん高まるリッキー・ファウラーの人気
  69. 15. ジャロード・ライルの36年の人生が残してくれたもの
  70. 14. 苦労したからこそ、若者たちを手助けしたいと動き出したトニー・フィノウ
  71. 13. 授かった幸運を不運な人々のために役立てたいと願うジム・フューリックと妻の社会貢献
  72. 12. 選手もキャディも主役になった日
  73. 11. タイガー・ウッズの真心のチャリティ
  74. 10. 闘病しながらチャリティにも精を出し、「とてもラッキー」と言い切る強さ
  75. 09. ベン・クレーンの終わりなき社会貢献
  76. 08. だから、アーノルド・パーマーは誰からも愛された
  77. 07. デービス・ラブの愛
  78. 06. 彼が国民的スターである理由
  79. 05. ゴルフより大切なものを知って強くなったプロゴルファー
  80. 04. アーニー・エルスの山谷の越え方
  81. 03. マスターズ2勝のバッバ・ワトソンが一人の人間として抱く夢
  82. 02. 全英オープン覇者、ジョーダン・スピースの強さの秘密
  83. 01. プロゴルファーも、お医者さまも?「らしさ」って、難しい

著者プロフィール

舩越園子 近影舩越園子(ふなこし そのこ)

在米ゴルフジャーナリスト

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。


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