英国の名門、ロイヤル・バークデールで開催された今年の全英オープンを見事に制し、23歳にしてメジャー3勝目を達成したジョーダン・スピースは、優勝の興奮冷めやらぬまま早々にプライベートジェットに飛び乗り、米国テキサス州の実家へと戻っていった。
ダラスの実家に到着したのは午前5時。早朝だというのに、そこには両親や恋人、大勢の友人たちが集まり、愛する妹エリーの姿も、もちろんあった。
クラレットジャグと呼ばれる全英オープンの優勝トロフィーをスピースが一番見せたかったのは妹エリーだ。
「もしもエリーが生まれていなかったら、もしもエリーが今のエリーではなかったら、今の僕はなかった」
エリーの笑顔が見たい。エリーの笑顔にウソをつきたくない。
「だから僕は勝利を目指す」
プロデビューして間もなかった頃そう語ったスピースは、今も、そしてこれからも「僕はエリーのためにゴルフをする」と言い続けるだろう。
「勝利を目指して戦っているが、それは自分ではなく愛する人々のためだ」
とスピースは言い切る。(photo: 舩越園子)
僕の最大のモチベーション
父親は野球選手、母親はバスケットボールとホッケーの選手。カレッジスポーツで活躍した両親の間に長男として生まれたスピースは、子供のころから父親と一緒にゴルフに親しみ、弟が生まれてからは父と兄弟の3人でゴルフ場に通った。
そんな生活に大きな変化が訪れたのはスピースが7歳のときだった。誕生とほぼ同時に神経に障害が見つかった妹エリーは、生後1か月以上も病院の保育器の中にいた。スピースは毎日、父親と病院に通い、保育器の中の妹をじっと眺めながら心に誓ったという。
「僕が妹を守る。僕がエリーを守っていく」
以後、両親の時間と労力を最大限、エリーに向けさせようと考え、スピースはいつも一人で黙々とゴルフの練習をした。ハイスクールに通い始めてからは授業やゴルフの練習の合間に妹エリーが通う障害児の学校へ足を運び、先生たちの手伝いをするボランティアワークを務め、エリーの送迎もやっていた。
エリーと向き合う時間は、スピースにとって何より大切なひとときだそうだ。
「ジュニアやハイスクールの試合に出たあと、エリーに会うと、彼女は必ず『ジョーダン、勝った?』と尋ねた。『ごめんね、エリー。負けちゃったよ』と言っても、エリーはそれが理解できず、『ジョーダン、勝った!勝った!』と言いながら飛び跳ねて喜ぶ。ピュアな笑顔で僕の勝利を信じるエリーにウソをつく形にしたくない。『エリー、勝ったよ』と言ってあげたい。それが僕の最大のモチベーションだった」
スピースが12歳のころから指導しているスイングコーチのキャメロン・マコーミックも、こう言っていた。
「ジョーダンのゴルフを支えているのは妹のエリーだ。自分は何のためにゴルフをしているのか、自分はどこの誰なのか。エリーを愛し、エリーと向き合っていると、そういうことを教えられるのだそうだ」
ゴルフは3番目、いや4番目だ
妹エリーのためにゴルフをする。妹エリーのために勝利を目指す。妹の存在こそが「自分のゴルフの原点だ」と言い切るスピースは、2013年のジョンディア・クラシックを制し、米ツアー初優勝を挙げた直後から、その優勝賞金を活かす形でジョーダン・スピース財団を設立した。
知的障害者、身体障害者、経済的事情で教育が受けられない子供たちのために活動していくことが彼の財団の目標だ。
トッププロゴルファーによるチャリティ・コンサートと言えば、以前はタイガー・ウッズがラスベガスで開催する『タイガー・ジャム』が唯一と思われていた。だが、スピースは20歳の若さでチャリティ・コンサートもすでに創設。エリーと一緒に楽しそうに歌って踊る兄妹の姿も見られるようになった。
「ゴルフは僕の人生のファースト・プライオリティではない。一番大事なのは家族、ガールフレンド、そして友人たち。僕にとってゴルフは3番目、いや4番目だ」
全英オープンを制し、メジャー3勝目、米ツアー通算11勝目を挙げたときでさえ、スピースは優勝会見で、そう言ってのけた。
そう、彼は妹のため、家族のために、ゴルフをしながら生きてきた。そして、愛する人を笑顔にしたい一心で、日々練習を積み、必死に戦い、そして勝利を目指してきた。自分だけのためだったら、くじけてしまいそうなときも、自分の勝利を信じる妹の笑顔を思い浮かべれば、自ずとパワーが沸いてくる。
だからこそ、スピースは強い。そう痛感させられた全英オープンだった。