医者が知らない医療の話
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第79回

マクロバイオームの精神的影響について

《 2024.04.10 》

前回でマクロバイオームが各種疾患に密接に関係していることを話したが、今回は更に心理的、精神的影響をも与えている。それも我々の想像以上に大きな影響を与えているというお話。

人間の腸内マイクロバイオーム、つまり消化管に住む微生物の複雑な生態系は、代謝や免疫機能から気分や認知プロセスに至るまで、様々な側面に影響を与える重要な役割を担っていることが明らかになっている。この微生物群は、我々と共生関係にあり、心理的な健康や行動にさえ影響を及ぼす可能性が指摘されている。それらを以下に列挙すると。

腸脳軸: 双方向のコミュニケーションハイウェイ
腸脳軸は、腸の腸神経系(ENS)と中枢神経系(CNS)を結ぶ双方向のコミュニケーションシステムであり、神経系、ホルモン系、免疫系を介した経路を含んでいる。この軸は腸と脳の間で絶え間ない対話を可能にし、腸内マイクロバイオームがこの相互作用において重要な役割を果たしていると言われている。例えば、特定の腸内細菌は、気分や不安を調節するのに必須なセロトニンやガンマアミノ酪酸(GABA)などの神経伝達物質を生産することができる。体内のセロトニンの約90%が腸で生産されているという事実は、腸内マイクロバイオームが心理健康において重要な役割を果たしていることの一例だ。

気分と感情的な幸福感への影響
腸内マイクロバイオームの構成の変化が、うつ病や不安障害などの気分障害の発症に影響を与えることが示されている。うつ病を患っている人々は、コプロコッカス属やディアリステル属などの特定の腸内細菌が著しく減少していることが分かっている。プロバイオティクスの介入は、うつ病の症状を軽減することが示されており、腸内マイクロバイオームを調節することが気分障害の治療戦略として有望であることを示している。

性格特性と社会的行動への影響
腸内マイクロバイオームと脳との相互作用は、我々の性格や社会的行動の側面を形成することにも及んでいる。腸内マイクロバイオームの構成の変異が、社交性、神経症傾向、開放性などの性格特性と相関することが示されている。例えば、より多様な腸内細菌群を持つ個人は、高い社交性と低いストレスレベルを示す傾向にあります。これは、私たちの腸内細菌の多様性が、社会的交流への傾向に影響を与えることを示唆している。

認知機能と記憶への影響
腸内マイクロバイオームは、認知機能や記憶にも重要な役割を果たしている。マウスを対象とした実験研究では、特定の腸内細菌が認知能力、特に空間記憶や学習を向上させることが示されている。これらの効果は、腸内細菌による短鎖脂肪酸(SCFA)の産生によって媒介されると考えられており、これらは抗炎症作用を持ち、神経新生やニューロンの機能に影響を与える可能性がある。

サイコバイオティクスの概念:心理的健康への腸内マイクロバイオームの活用
「サイコバイオティクス」とは、腸脳軸に作用することで心理的健康の利益をもたらすプロバイオティクスの株を指す。そして、このサイコバイオティクスの概念は、精神・神経障害の治療に新たなアプローチを提供し、腸内マイクロバイオームを標的とする新しく全体的なアプローチを開拓している。腸内細菌群の構成や活動を調節することにより、サイコバイオティクスは気分の改善、不安の軽減、認知機能の向上の可能性を秘めている。


以上のことにより、腸内マイクロバイオームが私たちの心理的健康、行動、性格特性に重要な影響を与えることが明らかになってきている。この複雑な微生物の生態系は、我々の心理的幸福の重要な決定要因として機能し、腸を介して脳を対象とした新たな治療法のアプローチが存在することを示している。
この分野の研究が進むにつれて、腸内マイクロバイオームを活用して精神的健康を促進し、精神障害を治療する可能性がより具体的になることが期待される。心理的ウェルビーイングを向上させるために腸内環境を改善することができれば、それは非常に革新的な治療法になる。
腸内マイクロバイオームの研究は、我々の健康と、いわゆる癌も含めた免疫異常疾患のみならず、心理的、精神的健康に対する理解を深めるだけでなく、新しい治療法の開発にも貢献する可能性を秘めている。

現在までの研究成果は、腸内マイクロバイオームが心理・行動への影響において重要な役割を担っていることを示唆している。しかし、これらの研究結果を基に、具体的な治療法や予防法を開発するには、さらに多くの研究が進むにつれ、私たちの健康や心理的な状態、さらには個性に至るまで、腸内フローラが重要な役割を果たしていることが明らかになって来ている。これらのマクロバイオームは、我々の身体と密接に連携し、免疫機能、栄養吸収、そして脳の健康に至るまで影響を及ぼしている事が明らかになってきている。

私としては、腸内マイクロバイオーム異常に対する、現状の最良の治療は腸内細菌移植であると思っている。このマクロバイオームの解析と臨床症状の相関を明らかにする事により、各疾患に対しより的確な治療ができると思う。更に、以前からの検討課題なのだが、単独の菌株の投与での効果なども検討できれば、経口投与でのマクロバイオームの治療も可能になるかも知れない。

余談だが、この前フローラ移植で来た中国の人が、中国で腸内フローラ移植受けたそうだけど、何かカプセル飲まされただけと言ってた。これはちょっと怪しいと思ってるのだが、どうだろう?まあ、本人も怪しいと思ってるからうちに来たのだろうけどね。

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著者プロフィール

中川 泰一 近影Dr.中川 泰一

中川クリニック 院長

1988年関西医科大学卒業。
1995年関西医科大学大学院博士課程修了。
1995年より関西医科大学附属病院勤務などを経て2006年、ときわ病院院長就任。
2016年より現職。


バックナンバー
  1. Dr.中川泰一の
    医者が知らない医療の話
  2. 80. 保険診療と自由診療
  3. 79. マクロバイオームの精神的影響について
  4. 78. マクロバイオームの遺伝子解析Ⅲ
  5. 77. マクロバイオームの遺伝子解析Ⅱ
  6. 76. 中国訪問記Ⅱ
  7. 75. 中国訪問記
  8. 74. 口腔内のマクロバイオームⅡ
  9. 73. 口腔内のマクロバイオーム
  10. 72. マクロバイオームの遺伝子解析
  11. 71. ベトナム訪問記Ⅱ
  12. 70. ベトナム訪問記
  13. 69. COVID-19感染の後遺症
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  15. 67. 口腔内・腸内マクロバイオーム
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  21. 61. 癌治療に対する考え方Ⅱ
  22. 60. 癌治療に対する考え方
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  28. 54. 若返りの治療Ⅲ
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  30. 52. ワクチン騒動記Ⅳ
  31. 51. ヒト幹細胞培養上清液Ⅱ
  32. 50. ヒト幹細胞培養上清液
  33. 49. 日常の診療ネタ
  34. 48. ワクチン騒動記Ⅲ
  35. 47. ワクチン騒動記Ⅱ
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  64. 18. ミクログリアは「脳内のマクロファージ」
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  68. 14. 自然免疫の主役『マクロファージ』
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  70. 12. 結核菌と癌との関係
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  74. 08. 食物繊維の摂取量の減少と肥満
  75. 07. 免疫系に重要な役割を持つ腸内細菌
  76. 06. 肥満も感染症? 免疫に関わる腸の話(2)
  77. 05. 肥満も感染症? 免疫に関わる腸の話(1)
  78. 04. なぜ免疫療法なのか?(1)
  79. 03. がん治療の現状(3)
  80. 02. がん治療の現状(2)
  81. 01. がん治療の現状(1)

 

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