第63回
腸内フローラの影響
さて、色々な働きが解明されてきている「腸内フローラ」だが、そもそもどの様にして我々の身体に影響を与えている事がわかっただろうか?
我々の皮膚や粘膜面には膨大な数の細菌群が常在しており、この細菌群のことを常在細菌叢(マイクロバイオーム)と呼んでいる。皮膚の代表的疾患である「痤瘡」、つまりニキビの原因も、単にアクネ菌の感染ではなく、常在細菌叢のバランスが崩れることによってアクネ菌の増殖を招いている事は以前触れた事があるので、覚えている方もおられると思う。(本当に覚えてるかな?)
この様に常在細菌叢が人の身体の大きな部分をコントロールしているのだが、その中でも特に大きな影響を及ぼしているのが腸管粘膜に存在する腸内細菌叢つまり「腸内フローラ」と言うわけだ。
以前にも書いたが、「腸内細菌叢移植」については、2000年以上前の中国の漢方書に載っている。勿論、現在では中国の人だってそんな事知らないわけだけ。ここで「細菌」の概念があったかまでも寡聞にしてわからないのだ。
ちなみに、ちょっと余計な知識として述べると「犬のフローラ」を移植すると言う治療法も書いてあるそうな。(すいません、原本確認できてません。)いつか試してみたいのだが、勿論希望者がいない。人のフローラだとモニター希望者は事欠かせないにも関わらず、癪に障るから時々「この前のフローラ移植してから調子どう?おしっこする時に脚上がったりしない?」と訊くと「な、なんのフローラ入れたんですかあー」とみんな真に受けるから、やっぱり犬のは入れられたく無い様だ。まあ、雑菌なんか有りそうだし、入れる方も勇気いるよね。人柱になるのは嫌だから、どこかで発表されてからにしようと思ってるから、無理めのモニターの諸君、ご安心を。
話を戻すと、近代の腸内細菌の研究は17世紀後半にLeewenhoekが、手製の顕微鏡を用いて糞便中から微生物を発見したのが最初と言われている。その後、大きな進歩があるのは、19世紀にかの有名なKochやPasteurにより「細菌学」が確立してからだ。我々一般人もこの辺りからのことしか知らないのではないだろうか。詳しい人は「無知」とかツッコまないでね。そして、20世紀に入って、Mechnikovが「The Prolon-gation of Life」で腸内細菌叢のバランスを改善する細菌について初めて触れた。これが現在でも話題の「probiotics」の概念の始まりと言われている。しかしながら腸内細菌そのものの研究が行われるのは半世紀ほど経ってからになる。これは腸内細菌の培養法が確立されたことによる。
特にMitsuokaらが開発した「腸内細菌の包括的分離培養法」により腸内に微量しか存在していない細菌の検出が可能になった事が大きい。
さらに無菌動物の飼育法が確立されたことにより、個々の細菌の及ぼす影響を同定できる様になった事も大きい。
そして、この飼育法が確立されたおかげで、無菌状態の実験動物に糞便懸濁液を投与することにより、腸内細菌叢を無菌状態の動物の腸内に移植することができるようになった。この様にして動物実験の手法が確立したことによって、腸内の細菌を個々ではなく腸内細菌叢つまり各種の細菌の集団として捉えた研究が始まったというわけだ。時に1950~60年代のことだ。この後の大きな飛躍は1980年台に、細菌の培養を介さない解析手法が開発されてからとなるが、ここからはややこしいので後ほど。
で、肝心の臨床に関しては近年注目を浴びるきっかけになたのは、2013年にオランダの研究者が、抗生剤の大量投与などにより腸内細菌叢が損傷して起こる再発性のClostridioides difficile感染症(CDI)に対して腸内フローラ移植が劇的に効いたと発表してからと言われている。
実はこのCDI、日本ではあまりメジャーじゃない。また、日本人は欧米人に比べてCDIが重症化しにくいので我々医師もピンとこないかもしれないが、当時、欧米では罹患者が急増し大変問題になっていた。なんとアメリカだけでも毎年の罹患者50万人、死亡数3万人にも達していた。
有効な治療法が見出せない上にこれだけの死者が出ているところに、この発表だ。欧米では一気に腸内フローラ移植の研究が盛んになった。そして、2014年にはアメリカ食品医薬品局(FDA)が、腸内フローラ移植を再発性CDIの通常医療として認可した。ところが、その勢いもここまでで、腸内細菌や腸内フローラ移植と様々な疾患との関連はすでに指摘されていながら、コストパフォーマンスや特殊な治療という理由でCDI以外の疾患にはなかなか適応されなかった。ちなみにFDAが承認している腸内フローラ移植もCDIに対してのみだそうな。
その後、次々と色々な疾患との腸内細菌叢の関係が解明されてきているのはご存知の通りだ。この様に近代のフローラ移植の歴史は実際にはここ数年の出来事なのだ。しかしながらも腸内フローラの研究はこれらの歴史の上で成り立ってきたわけだ。何事もいきなり成果が出るものではないのは世の常だ。我々はその恩恵を被れようとしている。そして、現在は遺伝子レベルの測定などの技術でさらに研究は加速度的に進んでいる。一方、臨床的には、まあ日本での保健収載は遠いかなというレベルである。
著者プロフィール
Dr.中川 泰一
中川クリニック 院長
1988年関西医科大学卒業。
1995年関西医科大学大学院博士課程修了。
1995年より関西医科大学附属病院勤務などを経て2006年、ときわ病院院長就任。
2016年より現職。
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