コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

中国人の百人に一人はチワン族~影が薄い中国最大の少数民族とは?

2025.02.20|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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広西チワン族自治区の位置(赤色)
中央付近を北回帰線が東西に走る
南側はベトナムと国境を接している
聖火リレー最終走者を務めた李寧 中国の広東省の西側は、「広西省」ではなく、「広西壮族自治区」という。日本では「広西チワン族自治区」(以下、広西)と表記する。

中国の中央政府が直轄する少数民族の自治区は全部で5つあり、そのなかで広西は面積こそ4番目の広さだが、人口は最も多い。

広西は中国本土の南に位置するものの、中国の国家開発戦略では「西部地区」とされる。1999年に始まった「西部大開発」で、広西は唯一の沿海地域。また、陸路でベトナムにアクセスできることから、2013年に始まった「一帯一路」でも、広西は特に重視される。

中国にとって重要な広西だが、日本人には馴染みが薄い。だが、観光地の「桂林」がある地域と言えば、想像できるかも知れない。一方、自治区の名称にある「壮族」については、まったくイメージが湧かないだろう。

2008年の北京五輪の聖火リレーで、最終走者の李寧は空中を駆け、人々を驚かせた。彼は1984年のロス五輪で活躍した元体操選手。スポーツ用品ブランドの経営者としても有名。だが、李寧が壮族であることは、中国でもほぼ知られていない。壮族は漢民族の社会に溶け込み、普通に中国語も話し、氏名にも特別感はない。だから、有名な李寧を例に挙げたとしても、壮族の特色を説明できない。

壮族は中国最大の少数民族。2020年末の人口は1957万人で、中国の総人口の1.4%に相当。つまり中国人の百人に一人は壮族だ。ただ、そうは言っても、人口5000万人の広西では、漢民族が62%を占め、壮族は31%にすぎず、やはり少数民族だ。

新年のあいさつ
上から順に
「新表記法の壮語」
「古壮字の壮語」
「繁体字の中国語」
「旧表記法の壮語」
黄河文明に対する百越の領域(茶色) 日本では民族名にカタカナで「チワン」と表記するが、実際の標準中国語(普通話)での発音は、舌を巻いて発する「ジュアン」に近い。昔は同じ発音の「獞」や「僮」の字を当てていた。これらの字は漢民族が異民族を蔑視する「華夷思想」を反映しているため、1965年に周恩来首相が「壮」に変更。壮族と呼ばれるようになって60年ほどに過ぎないが、この民族の歴史は紀元前にさかのぼる。

長江以南の中国南部は、先史時代から「百越」と総称された諸民族の居住地だった。現代の壮族やベトナムの主要民族であるキン族(京族)の祖先は、この百越の一部だった。

初めて中原諸国を統一した秦の始皇帝は、紀元前214年に百越への侵攻を開始。現代のベトナムに至るまで、中華文明の影響下に入った。壮族の祖先は広西にとどまり、中華文明の影響を受け、漢民族化が進みながらも、今日まで「壮語」や独自の文化を保った。

一方、漢民族の南下を受け、新天地を探した壮族の祖先もいた。彼らは勇猛なキン族が移住したベトナムを避け、南西方向に移動。現代のタイ王国に到達し、タイ族に発展した。つまり、壮族とタイ人は同じ祖先を持つ。

壮語とタイ語が属するタイ・チワン諸語の歴史的拡散
黒線の矢印は拡散方向
出発点は広西チワン族自治区
紫色は現在のタイ・チワン諸語の分布
1988年にタイを訪問した壮族の学者は、壮語の南部方言でタイ人と会話できたことに驚愕。壮族とタイ人が同じ祖先と似た言語を持つことは、当の本人たちも近年まで知らなかった。壮族は影が薄い少数民族だが、「タイ人と近縁」という特色がある。いつか壮族が「中泰関係の懸け橋」になるかも知れない。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は3/5公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
    中国よもやま話
  2. 54. 「西南シルクロード」を阻む「黄金の三角地帯」~少数民族の戦争と麻薬 NEW!
  3. 53. 複雑な民族事情が阻む「西南シルクロード」~張騫の夢は実現するか?
  4. 52. 生々流転の中国民族興亡史~滅亡が悲劇とは限らない
  5. 51. 何度も変わった民族名~中国の支配階級だった満族
  6. 50. 中国人の百人に一人はチワン族~影が薄い中国最大の少数民族とは?
  7. 49. 民衆と権力を動かすチベット仏教~モンゴル人への影響力は今も健在
  8. 48. 同族意識と連帯感はそれほどでも~二つのモンゴルの違い
  9. 47. モンゴル独立をめぐる攻防~中露両国に翻弄された歴史
  10. 46. モンゴル国と内モンゴル自治区~二つのモンゴルの起源
  11. 45. 信仰で区別された特異な少数民族~中国の回族とは?<
  12. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響
  13. 43. 「あなたは何民族ですか?」~日本人と中国人の大きな違い
  14. 42. 洋の東西で同じ答えに~収斂進化した会計技術
  15. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計あり
  16. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  17. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  18. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  19. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  20. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  21. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  22. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  23. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  24. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  25. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  26. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  27. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  28. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  29. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  30. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  31. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  32. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  33. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  34. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  35. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  36. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  37. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  38. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  39. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  40. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  41. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  42. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  43. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  44. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  45. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  46. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  47. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  48. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  49. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  50. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  51. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  52. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  53. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  54. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  55. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


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  1. ~内藤証券アナリストが書く~
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  2. 54. 「西南シルクロード」を阻む「黄金の三角地帯」~少数民族の戦争と麻薬 NEW!
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