コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”

2023.12.5|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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モンゴル人の元王朝が中国を支配していた13世紀に、この地を旅したマルコ・ポーロの東洋に関する知見は、「東方見聞録」という書物にまとめられ、欧州各地に伝わった。

ラテン語版の「東方見聞録」
余白にコロンブスのメモ
「東方見聞録」が伝えた中国の姿は、当時の欧州人には信じられないほど強大であり、その信憑性を多くの人々が疑ったが、一方で信じる者もいた。新大陸を発見したクリストファー・コロンブスは、この書物を熱心に読み、そこに数多くのメモ書きを残している。

「東方見聞録」は事実に基づく話も多いのだが、その正しい情報が原因で、中国に対する欧州人の認識が混乱したことがあった。

1142年の中国
秦嶺・淮河線を境に、北部が金王朝(黄色)
南部が宋(南宋)王朝(赤色)
どちらもモンゴル帝国に征服された
中国は北緯33度付近の秦嶺山脈と淮河を東西に結ぶ「秦嶺・淮河線」を境に自然環境が大きく異なり、北部と南部に分かれる。漢民族も小麦食の「北方人」と米食の「南方人」に分かれ、言語や文化がかなり違う。

この線は中国の統一王朝が分裂する際の分断線でもあった。西暦979年に中国を統一した宋王朝は、1127年に北方の女真人に攻め込まれ、長江の南に遷都。その統治領域は、「秦嶺・淮河線」の南側だけとなった。中国の北側は、女真人の金王朝が支配した。

この中国の分裂は、モンゴル人が北部の金王朝と南部の宋王朝を征服したことで終結。その最中にマルコ・ポーロが中国を訪れた。

食事をする契丹人の姿
遊牧民の髪型が特徴
内モンゴル自治区赤峰市の墓に残る壁画
モンゴル人の元王朝は、漢民族を南北で区別し、分割統治した。金王朝の支配下にあった北方人を“漢人”、宋王朝の統治下にあった南方人を“南人”に分類。南人は元王朝への抵抗を続けたことから、“野蛮人”と蔑まれた。

マルコ・ポーロが欧州に伝えた情報も、元王朝の政策を背景に、中国を北部と南部に分けていた。マルコ・ポーロはモンゴル人の元王朝が支配する中国について、漢人が住む北部を「カタイ国」、南人が暮らす南部を「マンジ国」と呼び、二つの国のように紹介した。

「カンバリク」(現在の北京市)を首都とする「カタイ国」の国名は、イスラム圏で中国を意味した「キタイ」という言葉に由来。この“キタイ”とは中国の北辺を支配していた契丹人(キタイ)にちなむ言葉だ。英語で中国を意味する「キャセイ」の語源でもある。

メルカトル作成のアジア地図(1595年)
右側の緑の線で囲まれた部分が中国
北東にカタイ王国の表記がある
一方、「キンザイ」(現在の浙江省杭州市)を首都とする「マンジ国」の国名は、中国語の「蛮子」に由来。これは野蛮人という意味であり、元王朝の中国支配を反映している。

大航海時代が到来すると、ポルトガル人が16世紀に中国南部に到達。彼らは中国の南北を統一していた明王朝を「東方見聞録」の「マンジ国」と認識し、これとは別に「カタイ国」があると考えた。「メルカトル図法」で有名なゲラルドゥス・メルカトルも同様で、「中国」と「カタイ国」を地図に併記した。

「中国とカタイ国が、実は同じ国」と最初に指摘したのは、16世紀末に中国を訪れたイエズス会のマテオ・リッチ。だが、すぐには信じられず、大きな論争に発展。欧州の地図から中国の北にある「カタイ国」が消えるまでに、長い年月を要した。中国情報の真偽をめぐる論争は、現代でも西側諸国で起きたりする。昔も今も中国は“遠い国”のようだ。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は12/20公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
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  2. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割NEW!
  3. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  4. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  5. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  6. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  7. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  8. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  9. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  10. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  11. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  12. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  13. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  14. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  15. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  16. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  17. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  18. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  19. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  20. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  21. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  22. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  23. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  24. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  25. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  26. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  27. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  28. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  29. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  30. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  31. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


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