ホロコーストからの生存を助けてくれた親切というマジック(10:52)

ヴェルナー・ライヒ(Werner Reich)
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対訳テキスト
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心に響く物語『星の王子さま』には こんな一節があります 「心で見ないと ものごとは正しく見えない 肝心なことは 目に見えない」 作者のサン=テグジュペリが 心地よい椅子に座り 亡命先のアメリカのどこかで 物語を書いている時 私はまさにこのことを 遠く離れたポーランドの 強制収容所の 汚い仮設建物の中で学びました 賜るものの価値や大きさよりも 自分の心で どう受け止めるかが大事なのです

私が6歳の時 両親や姉と一緒に ユダヤ人を毛嫌いするドイツを逃れ ユーゴスラビアに行きました ユーゴスラビアでは7年間 幸せに暮らしました ところがドイツ軍がユーゴスラビアを 侵攻すると 私たちはまた突然迫害され 隠れなければなりませんでした 2年間の隠れ家生活を レジスタンス運動をしている カップルと送り その間写真の現像や 引き延ばしをしていました

ある日 15歳だった私は ゲシュタポ(ナチスの秘密国家警察)に逮捕され ひどく殴られ それから2か月間 留置所をたらい回しされ 最終的に チェコスロバキアの 150年前の要塞を ナチスが改装して仕立てた 強制収容所に送られました そこには10か月いました そこで鉄道線路を引き 害虫駆除をしたり バスケットを編んだりしました 10か月経った頃 私たち約2000人の囚人が 輸送車に押し込まれ 扉が閉ざされ 東に移送されました

それから3日間 その状態で進み 輸送車から降ろされると 屎尿の臭いがしました 着いた先は アウシュヴィッツ強制収容所でした 当時 そこでは 100万人以上のユダヤ人が虐殺され 煙突から煙となって 天に昇っていきました 私たちが着くと所持品全て 持ち物なら何であろうが構わず 没収され そして 縞模様の囚人服を着せられ 腕に入れ墨を刻印され 死の宣告も受けました 私たちは6か月間収容され その後 出ていくことになると言われました ただし煙突からだと

そして 別々の仮設建物に振り分けられました 内部は木製の寝棚がいっぱいで 一段に6人が 互い違いに寝るので どっちの方向を向いて横になっても 誰かの足が目の前にありました 私の隣の男性は とても親切な紳士で ヘルベルト・レヴィーンと名乗りました

レヴィーン氏は親切で礼儀正しい方でした ある日 私は割当作業を終えて戻り 寝棚に上りました 私の寝床は3段の最上段でしたが そこにいたレヴィーン氏は トランプを持っていて トランプを切っていました 私は状況が飲み込めませんでした アウシュヴィッツでトランプなんて 洗面所でゴリラに出くわすようなものです

(笑)

「何してるのだろう?」と思いました するとレヴィーン氏が私の方を向き 私にトランプを差し出し 「1枚抜いてごらん」と言いました そこで私が1枚抜くと マジックを見せてくれました まるで奇跡でした 私は生まれて初めて カードマジックを見ました そこにマジシャンが座っていたのです そしてレヴィーン氏が 思いもよらぬことをしました 種明かしをしたのです 彼の言葉が脳裏に刻まれ 私は一言一句 全部記憶しました その日から毎日のように 私は練習しました 私はトランプは持っていませんでしたが それでも練習続けました

それから3週間後 私を含め数百人を除いて 収容所の囚人は皆 毒ガス室に送られました 私は違う収容所に移送され 馬小屋で働かされました そして1945年1月に ロシア軍が侵攻してくると 同胞の6万人のユダヤ人は 死の行進に送り出されました 3日間断続的に歩きました 真冬でしたので 鉄道の引き込み線にたどり着くまでに 6万人のうち 1万5千人が亡くなりました 生存者は無蓋貨車に詰め込まれ 4日間かけて ポーランドから オーストリアに送られました そして 死の収容所である マウトハウゼン強制収容所に 到着していました ここも要塞のようでした その時点で 親衛隊は我々を見捨てました 食料はなく 無数の死体がありました

私は3日間 死んだ男性の隣で眠り 口にしたものは その男に配給された カビの生えたパンひとかけだけでした 戦争が終結する2日前の5月5日に 私たちはアメリカ軍に解放されました その時の私は17歳 体重は約30kgでした ヒッチハイクしながら ユーゴスラビアに帰りました 私が戻ったユーゴスラビアは 共産主義に支配され 家族は誰もいなくて 友達もいなくなっていました 私はそこで2年間過ごしましたが 2年後 なんとかイギリスに逃れました イギリスに着いた私は 英語が話せませんでした 教育もなく 技能もありませんでした

私は仕事し始めました イギリスに来てから 約1年経った頃 私はトランプを買いました そして初めて アウシュヴィッツの寝棚の最上段で 習ったマジックを 実際にやって見ました 上手くいきました 完璧にできました 友人たちに見せると 気に入ってくれました マジックの店で 違う道具を買って 友達に披露しました そして また買っては見せました そして また買っては見せました 私はマジックの本を どんどん買っていきました 趣味と狂気は紙一重です 趣味と狂気は紙一重です

(笑)

とにかく 私は結婚して アメリカに来ましたが 最初にした仕事の1つは 少人数の人に話すのが 求められる仕事でした やってみるとできて とても上手でした そして私は25年前に 仕事から引退しました それから学校で話すことを始めました 私が生徒たちに何か話ができる 唯一の理由というのは とても親切な男性が とても怖がっていた子供に カードマジックを 強制収容所で見せてくれたからです

私に披露してくれたレヴィーン氏は プロのマジシャンでした 彼はドイツで働いていて アウシュヴィッツに送られた時 ナチスの親衛隊は彼を知っていました だから 彼にトランプや 紐や サイコロを与えました 彼は親衛隊にマジックを披露したり 種明かしを教えたりしました 彼は戦争を生き延びましたが 妻と息子は亡くしました アメリカに来て 様々な会場で興行しましたが 私たちは再会することはありませんでした でも 彼が教えてくれたマジックを 私は忘れることなく そのおかげでいろんな学校を訪問し 世の中をちょっとでも良くすることが できました

身の回りに助けが必要な人や 怖がっている人がいるようなら 優しくしてあげてください 助言してあげてください ハグをしてください カードマジックを教えてあげてください あなたが何をしてあげても その人には希望となります 時宜にかなえば 相手の心に響き その人がどこに行こうと生涯残ります

ありがとうございました

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このプレゼンテーションについて

ホロコーストの生存者、ヴェルナー・ライヒが語るのは、強制収容所間を囚人として移動した悲惨な青春時代、それと小さな親切がいかに生涯に渡る思いやりを育むかと言うことです。「助けが必要な人や怖がっている人がいれば、優しくしてあげてください。時宜にかなえば、相手の心に響き、その人がどこに行こうと生涯残ります。」とライヒは言います。

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