自分らしくあることが私のスーパーパワー(14:01)

アメリカ・フェレーラ(America Ferrera)
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対訳テキスト
講演内容の日本語対訳テキストです。
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生まれ育った家の居間の 赤いタイルの上で 私は歌い踊っていました ベット・ミッドラー主演のテレビドラマ 『ジプシー』の曲に合わせて—

♪ 私には夢があった 素晴らしい夢が パパ ♪

9歳の女の子の抑えきれない熱い想いを 胸に抱きながら歌いました その子には夢があったんです 女優になるという夢が 自分みたいな容姿の人を テレビや映画で見たことは なかったし 家族や 友人 先生からも 絶えず忠告されていましたけど 私のような容姿の人間は ハリウッドでは成功しないと でも私はアメリカ人です 誰でも何でも成し遂げられると 教わってきました 肌の色が何色だろうが 両親がホンジュラスからの 移民だろうが 貧乏だろうが 夢が簡単に叶うことを 求めてはいません 可能でさえあれば十分でした

15歳の時でしたが プロとしての初の オーディションを受けました コマーシャルです ケーブルテレビ契約の— 保釈金立替業だったかも 良く覚えていませんが—

(笑)

覚えているのは 配役責任者に こう言われたことです 「もう一度やってもらえる? ただ今度はもう少しラテン系っぽく」

「えーと じゃあ スペイン語でやればいいですか?」 と聞きました

「そうじゃなくて 英語で— ただもっとラテン系っぽく」

「私はラテン系なんですけど ラテン系っぽくないですか?」

しばらく きまりの悪い沈黙があって それから 「じゃあ いいです 来てくれてありがとう ご苦労様」

帰りの車に乗っている時間の ほとんど費やして ようやく気付いたのは 「ラテン系っぽい」というのは カタコト英語で話すということだったんです 良く理解できなかったのは 私が実際に正真正銘の ラテン系であることが 全く関係ない様子 だったことです

結局この仕事は来ませんでした 私に期待された役の多くで 私は採用されませんでした— ストリートギャングの彼女 生意気な万引き娘 ラテン系下層民の妊婦その2

(笑)

私のような子のための 実際にあった役柄です 人の目からすると 肌が褐色すぎ 太りすぎで 貧しすぎる 洗練されてない子 ステレオタイプの役柄で 実際の私とは かけ離れていたし 私が演じたいと夢見ていた 役でもありませんでした 私が演じたかったのは複雑で 多面的な性格を持ち合わせた 人生という舞台の 中心にいるような人 誰かの背景に置かれた飾り みたいな存在ではありません

ところがマネージャーに 思い切ってそんな話をすると— 私がお金を払って 仕事を探してもらっていた人ですが— その彼が言ったのが 「そんなの非現実的な期待だと 誰かこの娘に言ってくれ」でした 彼は間違ってはいませんでした クビにはしましたが 間違ってはなかったんです

(笑)

(拍手)

お粗末なステレオタイプではない役に 挑戦すると 返ってくる返事はいつも 「この役は多様性を基準に キャスティングしていない」とか 「この子は最高だけど ちょっとエスニックすぎる」とか 「あいにくラテン系の子なら もう既に1人いるから」とか 同じメッセージが 繰り返し戻ってきました 私らしくあることは 克服すべき障害なのだと そこで私はこう思いました 「障害さん かかってきなさい 私はアメリカ人で 名前だって「アメリカ」よ このためにずっと 鍛えてきたんだから 方針を貫いて もっと努力するだけ」と それで努力しました 可能な限りのことをし 欠点だと指摘された部分を 克服しようとしました 肌がこれ以上濃くならないように 日差しを避けました カールのかかった髪の毛を 真っ直ぐに伸ばしました 常に減量していました おしゃれで高価な服も 買いました それもすべて 私を見た人が 太り過ぎで 褐色過ぎの 貧しすぎるラテン系と思わないようにです 私に何ができるか 見てもらえれば きっとチャンスを もらえるはずだと

ところが皮肉な 運命のいたずらによって 私の夢がかなって 手に入れた役は まさしく私自身であることが 必要とされる役柄でした 『Real Women Have Curves』の アナは 肌が褐色の 貧しい 太った ラテン系女性の役でした そんな容姿の人— 私のような人間が 人生の物語の主人公であるのを 見たことがありませんでした この映画を引っ提げて アメリカ中を回り たくさんの国を訪問しました 年齢や民族や体型に関わりなく 誰もがアナに 自分を重ねていました 17歳の太り気味の メキシコ系アメリカ人の女の子が 実現しそうにない夢を叶えようと 文化的模範と格闘する話です

それまで私がずっと 言われ続けてきたのとは違い 私のような人の物語をみんな 見たがっているのを直に目撃しました 非現実的な期待と言われた 私の本来の姿が 社会の中で描かれることが みんなの期待でもあることを 悟りました 映画『Real Women Have Curves』は 評価の面でも 文化の面でも 収益の面でも 大成功を収めました 「やった!」と思いました 「私たちの物語にも価値が あることを認めてもらえた これで状況が きっと変わるはず」

ところがそれから状況は一向に 変わろうとしませんでした 流れが変わる分岐点は 訪れませんでした 聴衆が求め 喜んでお金を払う話を 映画業界の誰も もっと作ろうとはしませんでした

それから4年後に 『アグリーベティ』の役を得た時も 同じ現象が再び展開するのを 目撃しました 『アグリーベティ』の初回は 全米の1600万人に視聴され 最初の年にエミー賞に11部門で ノミネートされました

(拍手)

『アグリーベティ』の 成功にもかかわらず その後8年間 アメリカのテレビドラマで ラテン系女優が主演した ものはありません 私がラテン系女優として唯一 主演部門でエミー賞を獲得してから 12年経ちます これは誇りにしている ことではなく 強い苛立ちを 感じることです 賞で私たちの価値が 証明されるからではなく 世界で活躍する人の姿が 自分自身をどう見るか 自分の価値をどう考えるか どんな将来を夢見るかに 影響するからです

私がそのことに疑問を抱く度に 思い出すのが パキスタンのスワート渓谷に住む ある女の子のことです その子は どうにかして手に入れたDVDで アメリカのテレビドラマを見て ライターになる夢を 膨らませました (ノーベル平和賞受賞者) マララは 自叙伝の中でこう記しています 「私がジャーナリズムに 興味を持つようになったのは 自分の言葉で変化をもたらすことが 可能だと悟ったから それと『アグリーベティ』の DVDを見て アメリカの雑誌社で働くことに 憧れたから」

(拍手)

17年のキャリアを通して 目のあたりにしたのは 文化社会における存在感を 得たときの 私たちの声が持つ力です 私は見たし 自ら体験しました 誰もが見ています エンターテインメントにおいても 政治においても ビジネスにおいても 社会改革においても 否定することはできません— 存在感は可能性を生み出します ところが この17年間 社会の中で存在感を発揮できる人 できない人がいることについて 同じ言い訳を いつも耳にしました 私たちのストーリーを 聞きたい人がいない 私たちの体験は 社会の主流の人々に 共感されない 私たちの声を伝えるのは 金銭的リスクが大きすぎる

ほんの数年前のことですが エージェントから連絡があり ある映画の役を逃した 理由を聞きました 「みんな君を 本当に気に入っていたし 本当に多様性のあるキャストに したいと思っていたけど 白人の役をまず決めないことには 映画の資金が調達できないんだ」 彼の声から残念な 気持ちが伝わったし 「酷い話だ」という思いも わかりました それでも これまで何百回と 体験してきたように 涙が頬を伝うのを感じました 拒絶される心の痛みが湧き上がり それから自分を叱る 恥の気持ちの声を聞きました 「大人の女でしょ たかが仕事のために泣かないで」と このプロセスは長年経験してきました 失敗を自分の問題として受け止め 障害を克服できなかった 自分を恥じる—

ところが今回は 違う声が聞こえてきました 「疲れたわ」と 「もうたくさん」 私の涙や痛みが 仕事を 逃したせいではないことを その声は知っていました それは私が実際に 言われたことのため 生涯ずっと言われ続けてきた ことのためでした 重役やプロデューサーや ディレクターやライターや エージェントやマネージャーや 先生や友達や家族に言われた 私が価値の劣る 人間だということ

日焼け止めや ストレートヘアアイロンで この根深い価値観を 変えられると思っていました でも その瞬間に気づいたのは 社会のあり方を変えてほしいと 私がお願いしたことはなく そこに私も入れて欲しいと言っただけ この二つは同じではありません 社会が描く自分の姿に 私自身が同意している限り 社会の描く私の姿を 変えさせることはできません でも私は同意していたんです 私は 周りにいる人同様に 今の自分の姿では自分の夢を 生きるのは不可能だと思っていました そして私らしさを隠そうと 努めていたんです この自覚が明らかにしたのは 純粋に変化を希望していながら 自分の行動が現状維持に 与しうるということです これがきっかけで 思うようになったのは 人を善人と悪人に分けても 変化は訪れないということ そんな議論では みんな無関係になってしまいます ほとんどの人は どちらでもないから

私たち一人一人が 自分の基本的な価値観や信念を 問い正す勇気を持ち 自分の行動を 善意に沿ったものにするなら 変化は訪れます 幾百万という人々が 私同様に 自分の夢を実現するには 世の中で自分の才能を 発揮するには 自分の本来の姿を否定しなければ ならないと言われてきました 私自身は 自分の姿を 否定するのはもうやめて 等身大で本来の自分の姿で 生き始めようと思います

もし過去に戻って 居間で踊りながら夢見る 9歳の自分に声をかけられるなら 私はこう言います 自分らしいことは 障害ではない 自分らしいことは 私のスーパーパワーなのだと なぜなら 私の姿が世の中の姿だから あなたの姿が世界の姿で 私たち皆一緒になった姿が 真の世界の姿だから 社会のあり方に それを反映させるのに 新しい現実を創り出す 必要はありません 今私たちが生きている現実を否定するのを やめさえすればいいんです

ありがとうございました (拍手)

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このプレゼンテーションについて

ハリウッドは世の中の実際の姿を否定するのをやめるべきだと、女優・監督であり、活動家でもあるアメリカ・フェレーラは言います。自分自身のこれまでのキャリアをたどりながら、メディアにおいて様々な文化が正しく代表されるべきこと、そして私たちのストーリーの語られ方を変えるべきことを訴えます。彼女いわく「存在感は可能性を生み出します。世の中で活躍している人の姿が、自分をどう見るか、自分の価値をどう考えるか、自分の将来をどう夢見るかに影響するんです」

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