コラム・連載

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話

神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”

2024.01.05|text by 千原 靖弘(内藤証券投資調査部 情報統括次長)

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チベット仏教のチョルテン(仏塔)とカイラス山(一番奥)
チベット西部に位置する標高6656mのカイラス山は未踏峰
チベット仏教、ボン教、ヒンドゥー教などの聖地
チベットは百年あまり前まで、謎が多い“世界地図の空白”だった。この地で育まれたチベット仏教が世界に知られると、“神秘の地”というイメージがさらに広がった。そうした神秘のベールの裏側を今回は紹介する。

チベットでは7世紀に“吐蕃”という統一王朝が誕生。8世紀に仏教を国教化した。その教えはインド密教の影響が強く、独自色の強い仏教に発展。さまざまな宗派が生まれた。

吐蕃王朝は9世紀の中ごろに崩壊。その後は、各宗派が地方領主や外部勢力などと結びつき、“政教一致”の政権が争う歴史が続いた。

ダライ・ラマ5世(左) グシ・ハン(右) ゲルク派の座主であるダライ・ラマのチベット統治は、17世紀の中ごろに確立した。

モンゴル系のオイラト族を率いるグシ・ハンが、ゲルク派の救済を名目に、チベットに侵攻。彼はチベットを平定すると、その中枢地域をダライ・ラマ5世に寄進。こうして“ガンデンポタン”と呼ばれるダライ・ラマ政権が発足した。グシ・ハンの王朝は18世紀前半に、中国の清王朝によって滅亡。チベットは分割されたが、ダライ・ラマ政権は存続し、その後もチベットの西南地域を統治した。

ダライ・ラマは“観音菩薩の化身”であり、死後に転生するとされる。こうした“化身ラマ”の制度はカギュ派が始め、ゲルク派も採用。ゲルク派の座主であるダライ・ラマが亡くなると、転生者を探し、法座を継がせる。

ダライ・ラマ6世 だが、それは争いの火種でもあった。例えば、17世紀末に生まれたダライ・ラマ6世は、僧侶としての生活に馴染めず、俗人に戻ると宣言。放蕩生活を楽しんだが、これを理由に廃位され、非業の死を遂げた。チベット仏教界にはダライ・ラマのほかにも多くの化身ラマが存在。その転生者の承認をめぐり、政権内や宗派内で、しばしば争いが起きる。

こうした政教一致の歴史と伝統は、中国がチベット統治に苦慮する原因となっている。

ファラオ姿のローマ皇帝像 例えば、古代エジプトでファラオ(王)は神とされた。ローマは紀元前30年にエジプトを征服したが、民衆は人間による支配を拒絶した。そこでローマは、エジプトを国家の属領ではなく、皇帝の“私領”とした。初代ローマ皇帝のアウグストゥスが、元老院の決議で神格化されたカエサルの子だったからだ。アウグストゥスは“神の子”であるから受け容れられ、エジプトは皇帝の私領となった。

1959年にダライ・ラマ14世はインドに亡命し、チベット自治区が1965年に発足。だが、化身ラマ制度は廃止されず、今日まで残っている。その背景には、ローマ帝国のエジプト統治に似たような事情があるのだろう。

化身ラマ検索サイト 化身ラマは社会的影響が大きく、ニセ者の詐欺師も出没。転生した化身ラマの承認も争いの火種だ。こうした問題を背景に、中華民国は1935年に、転生者の承認権が政府にあると法律に明記。“転生”という超常現象を法制化した。

中華人民共和国でも2007年施行の法律で、化身ラマの転生を許可制とし、その承認権が政府にあると規定。2016年には “化身ラマ検索サイト”が稼働し、ニセ者対策を強化した。日本のアニメやラノベでは簡単に起きる転生だが、中国では法律の壁がある。

 

~内藤証券アナリストが書く~中国よもやま話
次回は1/20公開予定です。お楽しみに!

バックナンバー
  1. ~内藤証券アナリストが書く~
    中国よもやま話
  2. 45. 信仰で区別された特異な少数民族~中国の回族とは?NEW!
  3. 44. 民族の公認をめぐる試行錯誤~中国の民族政策におけるソ連の影響
  4. 43. 「あなたは何民族ですか?」~日本人と中国人の大きな違い
  5. 42. 洋の東西で同じ答えに~収斂進化した会計技術
  6. 41. これぞ「文明の利器」なる~王朝の誕生に会計あり
  7. 40. 商売の神様は実在した人物~彼が神たる理由とは?
  8. 39. 見た目は違うが、生まれは似ている~日本の「株式」と中国の「股份」
  9. 38. 香港市民の窮屈な生活~劣悪な住宅事情
  10. 37. 香港の“街並み景観”に歴史あり~租借地と王領植民地の違い
  11. 36. すべては英国王の手中に~英領香港の土地制度
  12. 35. “割当品から商品へ”~中国本土の住宅市場勃興
  13. 34. “所有権はないが、不便もない”~中国本土の土地制度
  14. 33. 労働力需要で犯罪組織が誕生~明治日本と改革開放中国の共通点
  15. 32. 香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力
  16. 31. 香港犯罪組織の系譜~数百年に及ぶ「洪門」の伝統
  17. 30. なぜ犯罪組織が人気?~中国起源の任侠道が果たした社会的役割
  18. 29. 21世紀版のグレート・ゲーム~ウイグルをめぐる情報戦
  19. 28. 現代の屯田兵~新疆生産建設兵団
  20. 27. 新疆ウイグル自治区は東西交易の要衝~現代も続く「西域経営」
  21. 26. 東トルキスタン独立運動と西側諸国の連帯~ウイグル人が歩んだ歴史
  22. 25. 中国の街で目立つウイグル人~民族移動と人種的変容
  23. 24. チベット発展の秘策とは?~天国に最も近いタックス・ヘイブン
  24. 23. 神秘な世界の複雑な裏側~チベットの“化身ラマ制度”
  25. 22. 人を拒む神秘の地~異質で過酷なチベットの環境
  26. 21. 情報の真偽をめぐる混乱と論争~昔も今も中国は“遠い国”
  27. 20. 隋王朝に始まる中国経済の挑戦~言葉に映る南北の相違と一体化
  28. 19. 黄河文明と長江文明の融合と摩擦~中国の南北対立
  29. 18. 中国南北相違の原点~東アジアで異色な中国北部の小麦食
  30. 17. 漢字は同じでも、ひと味違う~複雑に絡み合う“麺料理”の概念
  31. 16. 現代中国の“漢服ルネサンス”~漢民族の服飾文化の探求
  32. 15. “人民服”の歴史的変遷~国民服から最高指導者の正装へ
  33. 14. 元々同じ圓が結ぶ奇妙な縁~東アジア一円の通貨
  34. 13. 誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者
  35. 12. 中国の人々を鼓舞する名曲~中国国歌の「義勇軍進行曲」
  36. 11. 伝統的バイオテクノロジーの傑作~茅台酒が高価な理由
  37. 10. 世界に目を向けよう~国際分散投資の魅力
  38. 09. なんでも漢字で表記~奥深い中国語名の世界
  39. 08. 自由を追い求める姿~中国の投資家たち
  40. 07. “口にすべし、楽しむべし”~中国的可楽世界
  41. 06. “いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い
  42. 05. 株式市場を育てる順序~ミャンマーと中国の違い
  43. 04. 対中情報戦の犠牲者~王立強事件の空騒ぎ
  44. 03. 全国展開可能な中華料理~アメリカザリガニの恵み
  45. 02. 強烈すぎるこだわり~中華的な数の世界
  46. 01. イメージの先に在るもの~中国株投資の魅力

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券投資調査部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


バックナンバー
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