北京冬季五輪の開会式
(2022年2月4日)
コロナ禍の終わりが見えなかった2022年2月4日に、北京冬季五輪が開幕した。ロシアのウクライナ侵攻が噂される暗い世界情勢のなか、開会式は「人類運命共同体の構築」をテーマに、“簡素、安全、精彩”の三点が求められた。
2008年8月8日の北京夏季五輪と違い、派手さを抑え、時間も短縮したが、映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)による演出は見事であり、多くの日本人に衝撃を与えたようだ。
ほんの半年前に開かれた東京五輪の開会式は賛否両論が分かれ、その記憶が多くの日本人に残っていた。そうした状況もあってか、北京冬季五輪の開会式が始まると、SNSでは「最初の数分で日本の負けが分かった」、「国力の差を見せつけられた」といったコメントが増え、これを新聞やテレビも取り上げた。
香港にあった“アメリカンレストラン”の看板
右から左に読む漢字の中国名は“美利堅”
米国料理の店として1948年に開業
北京料理で有名となったが、店名は創業時のまま
“ペキンフード”(京菜)の文字だけ追加した
有名人が通う名店だったが、2018年に閉店した
そのほかのコメントで多かったのが、参加国の中国語名だ。中国本土で使う中国語の漢字は、かなり簡略化された“簡体字”という字体なのだが、ある程度は日本人でも読める。アメリカは“美国”、ドイツは“徳国”、フランスは“法国”という表記を見て、同じ漢字でも日本語と違うことに驚いたというSNSのコメントも多かった。
アメリカを“美国”というのは、「美しい国」だからではない。“美利堅合衆国”という正式な中国語名の省略形だ。正式名はドイツなら“徳意志聯邦共和国”、フランスなら“法蘭西共和国”であり、いずれも国有名詞の部分は、外国語の発音に基づく“音訳”だ。
モンテネグロ選手団の入場
先導の女性が掲げるプレートには“黒山”の文字
音訳ではなく、外国語の意味に基づく“意訳”の国名もある。例えば、アイスランドの“冰島”やモンテネグロの“黒山”だ。アイスランドは「氷の島」と解釈できるから、“冰島”という漢字を当てた。モンテネグロはベネチア語で「黒い山」という意味なので、“黒山”とされた。ちなみに、“モンテ”が「山」で、“ネグロ”が「黒い」であり、順序は本来と逆になる。
こうした国名を見た日本人からは、面白いという感想が多かった。意訳の中国語名が、まるで“クイズ”のようだからだ。
広州白雲国際空港の搭乗口
行き先の“旧金山”はサンフランシスコの意味
国名ではないが、意訳の外国地名も存在する。例えば、米国の“サンフランシスコ”は中国語で“旧金山”(ジュウジンシャン)という。これには歴史的な背景がある。1849年に米国西海岸でゴールドラッシュが起きると、大勢の中国人が“苦力”(クーリー)と呼ばれる安価な労働力として、この地に渡った。黄金が採れることから、この地を中国人は “金山”(ジンシャン)と呼んだ。
後にオーストラリアのビクトリア州でゴールドラッシュが起きると、メルボルンが“新金山”(シンジンシャン)と呼ばれ、サンフランシスコの呼び名は“旧金山”に変わった。現在でもサンフランシスコは、中国本土や台湾で“旧金山”という。ただし、香港では地元の方言である広東語の音訳が広まり、“三藩市”(サムファンシー)という名称が定着している。一方、メルボルンは完全に音訳に切り替わり、いまでは“新金山”ではなく、“墨爾本”(モーアルベン)と呼ばれる。
昔から華僑が多い東南アジアには、現地の言語とは無関係な中国語の地名もある。例えば、マレーシアで第二の都市のジョホールバルは、中国語で“新山”(シンシャン)という。この街は広東省スワトー市出身の潮州人が多く、新しい土地という意味を込め、“新山”と名づけた。
インドネシアのパレンバンは、中国語で“巨港”(ジュイガン)という。当初は福建省からの華僑が“旧港”と呼んでいたようだが、「旧」の字が福建語で同音の「巨」に転化したと言われる。
香港のマクドナルドの広告
“将軍漢堡”とは日本発祥の“テリヤキバーガー”
タマゴも中国語の“蛋”ではなく、“玉子”と表記
日本風をアピールしている。
音訳と意訳が混ざった中国語の地名もある。例えば、ドイツのハンブルクは中国語で“漢堡”(ハンバオ)という。「漢」は音訳、「堡」は意訳だ。“ブルク”は城砦という意味であり、これに相当するのが中国語で砦などを意味する「堡」。“ブルク”と「堡」は冒頭の子音が一致し、音訳も兼ねている。ちなみに、ファストフードのハンバーガーは、中国語で“漢堡包”(ハンバオバオ)、あるいは単に“漢堡”という。
外国の地名に「~ブルク」や「~バーグ」とある場合、中国語では「~堡」となる。ロシアのサンクトペテルブルクは“聖彼得堡”(ションビーダーバオ)という。この場合、「聖」の字も音訳と意訳を兼ねている。サンクトペテルブルクと同じ意味の英語読みである米国フロリダ州のセントピーターズバーグは、二つの都市を区別するため、中国語では別の漢字を当て、“聖彼徳斯堡”(ションビーダースーバオ)という。
このように中国語が外国語の固有名詞を取り入れる場合、音訳や意訳が駆使される。中国に進出した外国企業は、中国語の会社名をつけるが、それにも音訳と意訳がある。
航空機メーカーでは、ボーイングが音訳の“波音”(ボーイン)で、エアバスが意訳の“空中客車”(コンジョンクーチャー)だ。言うまでもないかも知れないが、“エア”が「空中」、“バス”が「客車」に意訳されている。
自動車は中国語で「汽車」(チーチョー)と言い、日本語の「汽車」は“火車”(フオチョー)という。日本は漢字文化圏なので、トヨタ自動車は“豊田汽車”と表記し、中国語で“フォンティエンチーチョー”と呼ぶ。一方、“SUBARU”はプレアデス星団を意味する古語の“すばる”に由来し、それに相当する中国語に“昴”(マオ)があるものの、“速覇陸”(スーバールー)という音訳が定着している。
“マツダ”は創業者が松田重次郎だから“松田汽車”と思いきや、“馬自達”(マーヅーダー)という。マツダの社名がゾロアスター教の最高神アフラ・マズダに由来することを尊重したのかも知れない。ただし、“馬自達”という中国語名を使うのは中国本土や台湾であり、香港では“万事得”という。広東語では“マンシーダッ”と読む。中国語の話者が多い東南アジアのシンガポールやマレーシアでは、“万事達”(ワンシーダー)という。
このように外国語の中国語名は、大中華圏(グレーター・チャイナ)の地域によって異なることがある。その原因は方言の相違だったり、現地進出の時期の違いだったりする。
上海市のマクドナルド
簡体字で“麦当労”
音訳の中国語名で問題となるのが、「どの方言で読むか」という点だ。マクドナルドの中国語名である“麦当労”は、香港の広東語に由来する。ただし、これを広東語で読めば、“マックドンロウ”としっくりくるが、中国本土の標準語(普通話)では“マイダンラオ”であり、かなり違和感がある。
マクドナルドが香港に初めて出店したのは1975年だった。それから15年後の1990年に、広東省深圳市に中国本土の1号店を開いたが、すでに“麦当労”の名前が広く知られていたことから、標準語の響きに違和感があるものの、そのまま使っている。
台北市のマクドナルド
繁体字で“麦当労”
ちなみに、中国語の国名にも、音訳ではあるが、広東語に由来するものがある。ハンガリーを意味する“匈牙利”は、広東語では“ホンガレイ”だが、標準語では“ションヤーリー”となる。ハワイは中国語で“夏威夷”と書き、広東語の発音は“ハワイイー”だが、標準語では“シャーウェイイー”だ。標準語の発音は、本来の響きとかなり異なるが、そのまま使われている。
意訳の中国語名をめぐり、ちょっとした騒ぎも起きたりする。ポケットモンスター(ポケモン)は1990年代に香港や台湾で個別に翻訳され、ピカチュウは台湾で“皮卡丘”(ピーカーチュウ)、香港で“比卡超”(ベイカーチュウ)と呼ばれた。中国本土には台湾経由や香港経由でポケモンが浸透。台湾版や香港版が混在した。
こうした状況を背景に、ポケモン20周年の2016年に中国語名が統一されることになり、香港の“比卡超”という表記も、“皮卡丘”に切り替わることになった。ところが、“皮卡丘”を広東語で読むと、“ペイカーヤウ”となり、かなりの違和感が残る。
“十万ボルトの特大デモ行進”
“皮卡丘”はいらない、“比卡超”を返せ!
(2016年5月30日)
当時から香港では若者を中心に、中国語の標準語に反発する意識が強かった。ポケモンの名称が変更されたことに、一部の香港のファンが抗議。“十万ボルトの特大デモ行進”と銘打った横断幕を掲げ、日本総領事館に詰め寄った。もっとも、この“十万ボルトの特大デモ行進”に参加したのは、ほんの数人だった。
意訳の会社名では、マイクロソフトの“微軟”、フォルクスワーゲンの“大衆汽車”などが有名だ。マイクロソフトの場合、“マイクロ”が「微」で、“ソフト”が「軟」だ。フォルクスワーゲンの場合、ドイツ語で「大衆の車」という意味だから、“大衆汽車”という。ちなみに、ゼネラルモーターズの中国語名は“通用汽車”。“ゼネラル”が英語で「全般的」という意味であり、それに相当する中国語が“通用”だからだ。
オラクルの看板 IBMの中国語名は“国際商業機器”は、本来の意味に由来する。日本企業でも製薬会社のエーザイが“衛材”(衛生材料の略)であるなど、カタカナの社名を本来の漢字社名に遡って採用することもある。
ひねり過ぎて、意味が分かりにくい中国語名もある。例えば、IT企業のオラクルは、中国語で“甲骨文”という。オラクルとは古代ギリシャの神託を意味する英語だが、中国でこれに該当するのは、殷王朝の甲骨文。そういうわけで、この何とも奇妙な中国語名が生まれた。
2018年のコカ・コーラ台湾50周年式典
コカ・コーラは1968年7月に台湾上陸
意訳の中国語名は面白いが、最大の欠点は、音声がオリジナルの外国語と違い過ぎることだ。だが、音訳と意訳を兼ねた名作もある。
コカ・コーラの“可口可楽”がそうだ。その標準語での発音は“クーコウクーラー”であり、意味は“口にすべし、楽しむべし”。見事な中国語名と言えるだろう。もっとも、広東語では“ホーハウホーロッ”になってしまうのだが……。
ライブドア事件を伝える中国の新聞
タイトルは「活力門醜聞引発東京股市“大地震”」
2006年1月19日付「光明日報」
高級車ベンツの中国語名も傑作だ。ベンツは中国語で“奔馳”というが、漢文読みすれば「はしり、はせる」であり、「疾駆する」という意味だ。標準語の発音は“ベンチ―”であり、音訳も兼ねている。広東語では“バンチー”であり、これも違和感がない。
近年では日本のライブドアにつけられた“活力門”が力作だ。“ライブ”が「活力」で、“ドア”が「門」という意訳だが、その標準語読みは“フオリーメン”。つまり“ホリエモン”に似ており、別の角度から音訳も兼ねている。大喜利だったら、座布団を三枚くらいあげたいところだ。