ハルビンビール
初の中国製ビール
1900年創業
青島ビールよりも歴史が長い
日本国内を旅行では、各地の“地ビール”(クラフトビール)が楽しみの一つだったりする。中国では“青島ビール”が有名だが、日本と同じくローカルな地ビールが数多くあり、美味いかどうかは別として、味は多様だ。
中国を旅行する機会があれば、各地の地ビールを味見すると、楽しいだろう。味はともなく、話のネタが増えること請け合いだ。
しかし、アルコールが苦手の人には、そうした楽しみがない。そこで、お勧めなのが、中国の“地コーラ”(クラフトコーラ)だ。
コーラと聞いて、多くの日本人が連想するのは、“コカ・コーラ”と“ペプシコーラ”の二種類だけかも知れない。
上海租界のコカ・コーラ広告
モデルは大女優の阮玲玉
1930年代に活躍した
漢字は右から左へ読む
だが、日本にも多くの地コーラがあり、東京では18年に誕生した“伊良コーラ”が有名。筆者の故郷である福岡県田川郡川崎町では、向山(むかやま)食堂という1世紀半を超える老舗食堂が、オレンジ色の手作りコーラを期間限定で販売し、県内のローカルテレビ放送などで話題となった。中国で修業した六代目の向山皓紀さんが考案したという。
中国のコーラの歴史は意外と長く、地コーラの種類も、日本を大きく超える。コカ・コーラは1886年に米国で誕生し、その輸入品が上海租界にも出回るようになったという。
コカ・コーラが正式に中国市場に参入したのは1927年。英領香港の老舗ドラッグストア“屈臣氏”(ワトソンズ)が、上海にコカ・コーラのボトリング工場を開設し、中国市場に進出した。コカ・コーラの中国名は “可口可楽”。「口にすべし、楽しむべし」という意味であり、その中国語の発音も“クーコウクーラー”と、英語の響きに近い。
1937年の第二次上海事変
交戦中の日本軍の横にコカ・コーラの看板
上海のボトリング工場は、米国域外で最大規模に発展。中国本土が共産化されるまで、売れ行きは好調だったという。
1979年に米中両国の国交が正常化すると、コカ・コーラは中国市場への復帰を決定した。1981年に北京市などのボトリング工場が稼働。1988年には上海市で濃縮原液の工場が操業を始めた。
雑誌「タイム」1984年4月号
コカ・コーラを持つ中国人男性
米国文化を象徴するコカ・コーラのテレビ広告は、1986年に中国中央電視台(CCTV)でも流れ、人々は新時代の到来を実感した。
上海の幸福可楽 すると、中国各地に地コーラが誕生した。1970年代末に上海市では“幸福可楽”が登場。英語名は“ハッピー・コーラ”と思いきや、なぜか“ラッキー・コーラ”だった。
重慶の天楽可楽 1980年代に重慶市で誕生した“天府可楽”は、中国市場で75%のシェアを獲得したことがある。1990年代には“非常可楽”が登場。英語名は“フューチャー・コーラ”だが、米国では“チャイナ・コーラ”の名で知られる。
娃哈哈集団の非常可楽 なお、現在の中国本土では、英国資本のスワイヤ・パシフィック(太古公司)と中国政府系の中国食品(チャイナフーズ)が、コカ・コーラの販売事業を展開している。
中国の地コーラは、ネットでざっと検索しても、50種類くらい見つかる。検索にヒットしない未知のコーラもあるだろう。もしかすると、コカ・コーラを凌ぐ逸品が見つかるかも知れない。だって中国は広いのだから。