なぜ輝くガラスの高層ビルが都市生活に悪いのか(12:39)

ジャスティン・デイビッドソン(Justin Davidson)
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対訳テキスト
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今晩 この会場に来てみたら まわりの人が皆 ほぼ同じ姿かたちをしていた― そんな光景を想像してみてください 年齢や人種を感じさせない人たちで 概ね 良い顔立ちをしています 隣に座っている人は とても変わった内面の 持ち主かもしれませんが 見当もつきません 皆 終始 型を押したように 無表情なのですから これが 今 都市で起こりつつある 気味の悪い変化です ただ それが人ではなく 建物というだけです

都市というものは 凹凸や陰影、質感、色で あふれているものです 際立った個性や特徴の建築物の外観を まだ目にできる場所もあります リガのアパート イエメンのアパート ウィーンの公共住宅 アリゾナ州のホピ族の村 ニューヨークのブラウンストーン サンフランシスコの木造住宅などです これらは宮殿や教会ではなく ただ普通の住宅ですが 都市に当たり前にある素晴らしさを 体現しています なぜそうなるかと言えば 住まいへの欲求は 美を求める人間の欲望と 深く結びついているからです 外面のデコボコのお陰で 私たちは都市に触れることができます 例えば ブロックや石にそって 指を走らせることで 街を感じられるでしょう

でも それが難しくなってきています 都市が のっぺりとしてきているのです 新しいダウンタウンに 急成長する高層ビルは たいてい どれも コンクリートと鉄でできていて ガラスで覆われています 世界各地の街中で 空を見上げてみてください ヒューストン 広州 フランクフルト — どこの地平線にも ギラギラ輝く ロボットのような建物の一軍が 立ち並んでいるはずです さまざまな資材が使えるのに 建築家がそれを活用するのを止めたら 私たちは何を失うのか 考えてみてください もし花崗岩や石灰岩、砂岩 木や銅、テラコッタやレンガや 編み枝、しっくいをなくしたら 建物は単調になり 都市は豊かさを失ってしまいます ちょうど世界中の料理を ざっくり まとめこんで 機内食にしてしまうようなものです

(笑)

チキンか パスタ どちら?

でも さらに悪いことに こちらのモスクワのように ガラスの高層ビルが集まると 都市生活の市民的、地域社会的な側面が 蔑ろにされることにもなります こうした建物は その所有者や入居者に 資するように設計されたもので それ以外の私たち 建物の間を行き交う人たちの 生活までは 必ずしも考えられていないのです 誰もお金を払うわけでは ありませんから 輝く高層ビルは侵入種で 私たちの都市を窒息させ 公共スペースを殺しかけています 建物のファサード(外装)は いわばお化粧のようなもの つまり すでに完成した建物に さらに施された装飾と考えがちです でも ファサードが 表面的なものだからといって 深みがないわけではありません

例を挙げましょう 都市の外観が そこに住む人の生活に どう影響するかご紹介します スペインのサラマンカに訪問したとき 私は マヨール広場に惹きつけられました それも一日中です 早朝には ファサードに差し込む 太陽の光が くっきりとした影を落とし 夜になれば ランプの光が建物を何百もの さまざまな区画に分けます バルコニーや窓、アーケード 各々の箇所が 違った見え方をします その緻密で深遠なる美しさで 広場は 劇場のようになります 何世代もの人が集える ステージになるのです 敷石に寝そべる若者もいれば ベンチを占領するお年寄りもいて 実生活がまるで オペラの舞台セットのように見えます サラマンカで幕開きというわけです 今は 建物の外観に焦点を当てて お話ししているので 形式や機能、構造には 触れていませんが それでも こうした建物の外装は 私たちの生活に彩りを与えるのです 建物は そのまわりに 空間を創り出し その空間が人々を引き寄せたり 突き放したりするからです 多くの場合 建物の外観の質によって そこに違いが出てきます

サラマンカのメイヨール広場の 現代版の一つとして パリのラ・デファンス地区があります ガラスに囲まれた 吹きさらしの開放空間を 会社員たちが足早に 地下鉄の駅から職場へと 通り過ぎて行きますが それ以外で わざわざ そこで過ごす人はいません 1980年代初め 建築家のフィリップ・ジョンソンは ピッツバーグに 優雅なヨーロッパ風の 広場の再現を試みました こちらがPPGプレイスです 2千平方メートルの空間を 反射ガラスでできた商業ビルが 取り囲んでいます これらの建物は 金属の縁や仕切りで装飾が施され いくつものゴシック様式の小塔が 空によく映えます でも地上に立って見ると その広場はまるで 黒いガラスの檻のようです もちろん夏になれば 子どもたちが噴水を通り抜けて かけまわり 冬にはスケート場ができます しかし 人々がゆったり集うような 気楽さに欠けています とにかく ただそこに集い 語らいたいと思える場所ではないのです

公共空間の成否には さまざまな要因があります 建築は その一つにすぎません でも 重要な要因です 最近の広場で言えば メルボルンのフェデレーション・スクエア コペンハーゲンのスーパーキーレンが 成功していますが それは 古さと新しさ 荒々しさと滑らかさ 中間色と鮮やかな色を組み合わせ さらにガラスに 過度に依存していないからです

とはいえ ガラスに反対 というわけではありません ガラスは古くからある万能の素材で 製造や輸送が容易で 設置や取り換えもしやすく さらに清潔です どんな形にもなります 巨大で 透過性が非常に高い板から 半透明のブロックまで 新しいコーティングをすれば 光の加減によって 雰囲気も変えられます ニューヨークなどの物価の高い都市では ガラスには 魔法の力があり 眺望を生み出すことで 不動産価値を何倍にもできます 実際 べらぼうに高い値段を 正当化するために 不動産屋が使える唯一の武器です

19世紀の半ばに ロンドンで水晶宮が 建てられたのを受け ガラスは 典型的な近代的素材の トップに躍り出ました 20世紀半ばまでには ガラスが アメリカのいくつかの都市で 街中を席巻し始めます 大きな要因となったのが 目を見張るようなオフィスビルの誕生で SOM設計のマンハッタン区ミッドタウンの リーバ・ハウスなどがあります 技術が進歩した結果 建築家は 周りに溶け込んでしまうくらい 透明な構造を 設計できるまでになりました その過程で 高層ビルの集まる都市では ガラスを使うのが標準になりました それには 深い理由があります 世界の人口が 都市に集中するなか 恵まれない人たちは 安普請の低所得者向け地区に集まります でも 何億もの人が住むアパートや 働く場所をまかなう巨大なビルを 作ろうと思ったら 高層ビルを建てて 安価で実用的なカーテンウォールで覆うのが 理にかなっているのです

でも ガラスは 表現力に限界があります こちらは 広場を囲う壁の一部で メキシコ南部の 古代都市 ミトラにあります 2千年前の数々の彫刻を見れば 儀式で非常に重要な場所だったことが はっきり分かります 今 見ても 歴史的継続性と質感の連続性を 感じられるところがあります 彫刻やそれを取り囲む山々と 廃墟の頂上にたたずむ 遺跡から略奪された石で作られた教会との間に つながる連続性が見えます 近くのオアハカでは 普通のしっくいの建物でさえ キャンバスとなり 鮮やかな色や政治的な壁画 精緻なグラフィックアートで 彩られています こうした精細で意思疎通のできる言語も ガラスが蔓延すれば 一掃されてしまいます

良いニュースもあります 建築家や開発者たちが 素材の質感を再び楽しみ始めたのです それも近代化から後退することなくです ブロックやテラコッタといった 古い素材について 革新的な使い方を 見つけた人たちもいますし また新しい物を作り出した人もいます 例えば スノヘッタ建築事務所が サンフランシスコ近代美術館に さざ波状の彫刻のような 風合いを出すのに使った 成型パネルがそうです 建築家のステファノ・ボエリは 生きたファサードまで作りました これがその作品 ミラノの一対の高層ビル 「ボスコ・ヴェルティカーレ(垂直の森)」です 緑が 最も目立つ特徴となっています ボエリは 中国南京にも 同じようなものを設計しています 緑のファサードがガラスのビルと同じように 広まったとしたら 中国の都市の空気が どれだけ きれいになることでしょう

でも実際は こうしたものは ほぼ1回限りの 小規模な専門型のプロジェクトで 簡単に世界規模で 複製できるものではありません でも そこが大事なのです 地元色のある素材を使えば どの都市も同じに見えることは なくなります ニューヨークと銅との関わりは古く 自由の女神 ウールワースビルの先端に銅が使われ その後 長いこと廃れていましたが SHoPアーキテクツ社が イースト川沿いの アメリカン・コッパー・ビルという ねじれた形の 一対の高層ビルを 銅で覆いました まだ完成していませんが それでも 夕日が照らす 金属質のファサードはこんな様子で これから年とともに 青みを帯びていくでしょう

建物は 人のようなものです 「顔」に それまでの経験が表れます そこが重要なところでもあります なぜなら ガラスは古くなっても 取り換えればすむので ビルは ずっと ほぼ変わらない外観となり 破壊されるまでそのままです ガラス以外であれば ほぼ どの素材でも 歴史や過去の記憶を受け止め それを現在へと投影することができます 設計事務所 Ennead(エネッド)は ソルトレイクシティのユタ自然史博物館を 銅と亜鉛で覆いました 使われた金属は その地域で150年前に 採掘されたものであり 建物を黄土色の丘に溶け込ませ カモフラージュする形になっています そうすることで 地域の自然史を反映した― 自然史博物館としたのです 中国人でプリツカー賞受賞者の ワン・シュウは 寧波に歴史博物館を建設した時 彼は ただ過去を包み込むものを 創り出しただけでなく 記憶を壁に埋め込んだのです 廃村となった村々から 回収してきたブロックや石 屋根板を使ったのです

さて 建築家は ガラスも同じように 詩的で独創的な形で 使うことができます ここニューヨークにある2つのビル ジャン・ヌーヴェルのビルと フランク・ゲーリーのビルは 西19番街をはさんで対峙していますが 2つのビルが打ち返し合う光の動きは まるで光の交響曲のようです でも 都市が成長するにつれて ガラスが標準になると 鏡の間になってしまい 人を不安にさせ 冷たい印象も与えます 結局のところ 都市は 多様性が凝縮された場所であり そこで 世界中の文化や 言語 生活習慣が 集結し混じり合うのです その変化に富んだ多様性をすべて ひどく単調なビル群に 閉じ込めてしまうよりも 幅広い都市経験を讃えるような建築が 必要なのではないでしょうか

ありがとうございました

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このプレゼンテーションについて

建築評論家のジャスティン・デイビッドソンは、今、私たちの都市で奇妙な変化が起こりつつあると言います。テキサス州のヒューストンから、中国の広州まで、コンクリートと鉄ででき全面をガラスで覆われた輝く高層ビルが、侵入生物種のように急激に広まっているのです。皆さんが住んでいる都市のあり方を再考してみましょう。デイビッドソンは、建物の外観がいかに都市生活を形づくるか、そして、使える素材がたくさんあるのにそれを生かすのをやめた時、私たちが何を失うのか説明します。

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