獨協医科大学 井原裕教授
昭和大学医学部消化器・一般外科
村上雅彦教授
1955年に 東京都で生まれる。
1981年に 昭和大学を卒業する。
1998年に 昭和大学消化器・一般外科講師に就任する。
2002年に 昭和大学消化器・一般外科准教授に就任する。
2009年に 昭和大学消化器・一般外科教授に就任する。
  • JCOG胸腔鏡下食道手術認定医
    臨床研修指導医
    日本腹部救急医学会評議員・暫定教育医
    日本外科代謝栄養学会評議員
    日本外科系連合学会評議員・フェロー
    日本消化器内視鏡学会指導医・評議員
    日本外科学会専門医・指導医・代議員
    日本臨床外科学会評議員・雑誌編集委員
    日本消化器内視鏡学会評議員・指導医
    日本消化器内視鏡学会関東地方会評議員
    日本内視鏡外科学会評議員・食道悪性部門技術認定医
    日本消化器外科学会指導医
    消化器がん外科治療認定医
    日本食道学会評議員・食道科認定医
    日本大腸肛門病学会指導医
    日本肝胆膵外科学会評議員・肝胆膵外科高度技能指導医
    日本消化器病学会指導医

食道外科の未来について

第2回

腹腔鏡・胸腔鏡に出会う

―― 初めて腹腔鏡下手術をご覧になったのはどちらでしたか。

加藤雅明医師

村上 学会です。腹腔鏡下手術が日本に入ってすぐのときに学会に行き、ビデオで見ました。最初は東大で始めたと思うのですが、当時は特に胆石手術は見よう見まねで始めた人が多く、それで成り立っていたのです。しかし、トレーニングしないで手術したことで事故が多発したため、技術認定医の制度ができました。食道はどういうわけか、胃がんや大腸がんのように手術適用が厳しくなかったので、制限がかからず、皆が始めていきました。今ならありえないことですが、保険もすんなりついたのです。食道だけはそういう歴史がありました。

―― 胸腔鏡を始めようと思われたのはどうしてですか。

村上 1995年に食道がんに対する新手術として、「胸腔鏡下食道切除術」が我が国で初めて発表されました。小開胸下に胸腔鏡を用いて胸部手術を行うものですが、新しもの好きな私としては非常に興味のある手術であり、学会で見て、「面白そうだからやる」という感じで、胸腔鏡手術を始めることにしました。食道の前にお腹の腹腔鏡の手術はしっかりやってきましたが、食道はそれ以上のスキルが必要でした。食道に関しては手術と周術期管理が半分ずつで、管理の難しさや面白さもあります。言い方は悪いのですが、胃がんや大腸がんでは手術後はそこまで大変ではないのですが、食道は手術のあとどこかで気を抜くと重症化します。合併症率も高く、いちど合併症が起こると致命的になりかねません。手術時間も長く、数日は帰れないのです。患者さんもずっと繋がれたままでした。誰もやっていない手術ではありましたが、胸腔鏡なら何とか改善できるのではという思いもありました。

―― 最初に胸腔鏡下で手術をなさったのはいつですか。

村上 1996年11月です。現在はひたち医療センターの院長である加藤貴史医師とともに、日本で初めての「完全胸腔鏡下食道切除術」を昭和大学病院で実施しました。これが私の食道外科医としての始まりです。その患者さんは今もお元気で、外来にいらしていますよ。

―― やはり先生はパイオニアでいらしたのですね。

村上 その頃の日本の外科医は「昔からこうやってきたから」ということで方針を決めていたのですが、私は「今までこうしたからと言って、どうしてこうしないといけないのか」というふうに思っていたのです。ちょうど亀田総合病院に出張する機会があったのですが、亀田総合病院には割とアメリカのエビデンスに基づいた考え方が入ってきていましたので、そこで学んだことを土台に大学に帰ってからいわゆる古い風習を崩していきました。

―― 例えば、どのようなことから始められたのですか。

村上 胃の手術ではドレーンや胃管チューブを必ず入れなくてはいけないとされていたのですが、私が大学に帰ってからは「なぜ入れないといけないのか分からない」ということで、全て廃止したのです。上の先生方からはかなり抵抗がありましたね。食道では「昔からこうだから」というのが多かったのですが、胸腔鏡だと皆が見える分、変えていける部分も大きいのです。私が最初に学会で発表したときは年間5例ぐらいしかなかったのですが、「どこの馬の骨か分からない奴が突然、胸腔鏡の手術の発表を始めた」という目で見られていました。

―― 学会ではどういった発表をされたのですか。

村上 手術手技と術後管理についてです。私は手術の翌日から水を飲ませていました。飲んだらいけない理由は何もないので、3日目には食事も始めていたのです。常識では術後1周間は縫合不全がないか確認してからしか食事を出さないことになっていますが、そのような常識を全く知らないで発表したので、ある先生方からは怒鳴られました(笑)。でも、しきたりを全く考えずに、全て自分で理由付けしてという発想から今の形ができたのです。私どもで行っている管理はほかとは全く違うと思います。

―― その管理が昭和大式というものですね。

村上 昭和大学は食道領域の学会などでは無名でしたので、相手にしてもらえなかったのです。食道がん施設で相手にされるには、ほかの施設とは違うアプローチという独自性を持つことと、症例数の増加、良好な成績を示すしかありませんでした。そこで、開胸式で行われていた周術期管理まで全てを一新し、昭和大式という概念を作り上げました。

―― 批判されたときの心境はいかがでしたか。

村上 何を言われても、「あなた方はやったことがないでしょう」という気持ちが強かったです。「成績が良ければいいでしょう、やったことがないのに、文句を言わないでくださいよ」と思っていました。例えば、ドレーンを首に入れて、胃管チューブをお腹や胸に入れてというのは意味がないので、私は胸のドレーン1本だけにしたのです。そうすると、患者さんは次の日から歩けます。それも相当、批判されましたが、それで問題なかったのです。

―― それは今の主流になっているのですか。

村上 主流なのかどうかは分からないですが、私たちが早く始めた分、皆が追いついてきたように思います。最初は早すぎて、受け入れられなかったのでしょうね。

全国トップクラスになる

―― 昭和大式をどのように広めていかれたのですか。

村上 食道がん患者さんに対する低侵襲手術の普及は私の目標の一つでしたので、国内のどこでも手術を受けられることができるように、出張手術指導を行って、講演でも宣伝しました。症例数を増やす一方で、学会では上級演題にエントリーを続け、5年後にようやく日本消化器内視鏡学会でシンポジストに採択されました。それからどの関連学会でもシンポジウム演題に採択されるようになり、昭和大式胸腔鏡手術が認識されて、昭和大学病院が食道がん施設として受け入れられたのです。

―― トップクラスに上りつめていかれたのですね。

村上 最終的に昭和大学の食道手術が全国レベルでトップクラスだと印象づけられたのは2008年の日本外科学会の特別企画である「先端を駆ける外科医達―QOL改善のために―胸腔鏡・腹腔鏡併用食道癌手術(VATS-E)」だと思います。当初は年間5例だった手術が今は140例を超え、胸腔鏡手術では全国1位です。

―― 昭和大式の誇れるところはどのようなところですか。

村上 術後合併症率です。縫合不全、反回神経麻痺といった食道がん手術における二大合併症が国内、国外施設で最も低率なのです。縫合不全は現在12%と言われていますが、私どもでは連続200例に縫合不全がなく、合計でも1.2%です。また、術後合併症の中で最も致命的なものの一つが肺炎ですが、私どもでは肺炎の原因でもある反回神経麻痺をなくすため、拡大視効果や微細解剖を意識した手技にこだわっているので、反回神経麻痺はほぼ見られなくなりました。

―― 素晴らしいですね。

村上 これは患者さんのための手術を目指した結果です。しかし、これは私一人の力ではなく、大塚耕司講師、五藤哲講師をはじめとした食道外科チームのお蔭です。今後も合併症ゼロを達成するまで、彼らと努力していきます。

 

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