第3回

最先端のがん遺伝子検査による個別化治療
患者と共に歩む「がんサロン」開設の意義

最先端の個別化治療

古閑
僕はがんの臨床から離れて長すぎるので、きちんとした質問ができないんだけど、今はがんの治療を始める前にジェネティックな検査を必ずするんだよね?
佐々木
肺がんは必ずしますね。
古閑
それは何項目ぐらいあるの?
佐々木
肺がんには治療標的となるドライバー遺伝子(※1)変異を持つものがあります。ですが、まずは病理をみます。病理検査で小細胞がんと非小細胞がんに分けます。非小細胞がんをさらに扁平上皮がんと非扁平上皮がんに分けます。なぜかというと、今までの報告からドライバー遺伝子変異のほとんどが非扁平上皮がんで見つかるからです。 ※1 ドライバー遺伝子
がん遺伝子・がん抑制遺伝子といった、がんの発生・進展において直接的に重要な役割を果たす遺伝子のこと(国立がん研究センターHPより引用)
古閑
うんうん。
佐々木
非扁平上皮がんにはまず遺伝子変異を検査します。EGFR、EML4-ALK、新しいROS1、これもフュージョンですが、この3つをしなくてはいけません。ただ、これは相互排他的なので、一つにミューテーションがあれば、あとはしなくていんです。EGFRの頻度が一番高いので、順番としてはEGFRをまず調べます。それがあれば、あとはしなくてよいのですが、便宜上、一緒にやっています。
古閑
そうだよね。
佐々木
さらに、免疫チェックポイント阻害薬が出たので、その組織を免疫染色でPD-L1の染色をして、50%以上かどうかをみます。ドライバーがあった場合は分子標的治療薬になりますが、ドライバーがなかった場合はそのPD-L1の染色性がTPS(※3)で50%あるかどうかでまた分かれます。だから、遺伝子変異がなくて、TPSが50%未満の場合には今までの抗がん剤となります。ですから、最初から従来の標準治療だったいわゆる抗癌剤治療というのは非小細胞肺がんの半分以下になります。 ※ TPS(Tumor Proportion Score):腫瘍細胞のうちPD-L1発現陽性細胞の割合のこと
古閑
そうなるね。
佐々木
乳がんもエストロゲンレセプターとHER2(※4)を調べるのですが、トリプルネガティブの場合はオンコタイプといって、ジェノタイプを調べて、それでプラチナ(製剤)(※5)が効くかどうか、PARP阻害剤(※6)が使えるかどうかをみるような時代です。患者さんは勉強していて、それを出してくれと言いますから。 ※4 HER2:がん遺伝子の一種。 ※5 プラチナ製剤:抗がん剤の一種。シスプラチンやカルボプラチンなどが有名。 ※6 PARP阻害剤:損傷したDNAを修復する酵素であるPARPの機能を妨げる薬剤。特定の遺伝子変異があるがん患者に高い効果が期待されている
古閑
患者さんの方が詳しいもんね。
佐々木
今は腫瘍細胞の情報から治療法を決めていく、プレシジョンメディスンという時代です。今後は、体質の遺伝子も調べるようになるでしょう。UGT1A1の体質のジェノタイプによって、お薬の副作用の出方が違うことは10年前から分かっていますが、これは保険が利くんです。つまり、がん細胞からの情報でお薬の種類を決め、体質からお薬の量を調整していくという時代になっています。
古閑
すごい時代だね。

がんサロンと緩和ケア

― 佐々木先生は乳がんの会でも講演をなさっていますよね。

佐々木
そうですね。熊本でがんサロンや緩和ケアの普及啓発活動を始めたことで話す機会が増えました。治療法などの具体的なことではありませんが。熊本でがんサロンをやろうとしたきっかけが、がんセンターで重粒子線治療を受けてきた頭頸部がんの方がいらっしゃったことです。僕がセンター長をやっていたがん診療センターにわざわざいらっしゃり、「先生、先生方って、絶対に『治った』と言ってくれませんよね」と言われたんです。確かに外科の医師が手術して「大丈夫、完璧に取ったよ」と言うことはあっても、「治った」とは言わないですよね。やはり5年は再発するリスクがありますから、「定期的に来てね」と言いますよね。僕たちもIV期の肺がんの患者さんには最初に「残念だけど、治せない」と言うんですよ。これをできるだけコントロールするのが治療の目標ですからという話をします。その患者さんはそういうことをひっくるめて「治った」と言ってくれないので辛いから、その気持ちを患者同士で共有する場所が欲しいと言われました。僕が「なぜ、そう思ったんですか」と聞いたら、がんセンターの重粒子線治療のところに待合室があって、同じような患者さんが一杯いて、色々と他愛のない話をすると、すごく癒されて、良かったと。だから、そういう場所を熊本に作りたいということで作ったんです。僕らがどんなに新しい治療を提供しても、僕らは前の治療と比べて良くなったことが分かるから、「すごくいい治療ですよ」と言うけど、患者さんにとってはまだ治らないし、また新しい副作用も出るしで、あまり変わらないんです。そうすると、そのサポートも重要です。新しい治療だけを一方的に差し上げても、患者さんの幸せはあまりないことに気づいて、それから相談支援とか、緩和ケアとか、そういったものも一生懸命やっていこうということになりました。

― どのように始められたのですか。

佐々木
まず、熊本県のがん診療連携拠点病院である熊大病院にがんサロンを作りました。並行して、熊本県に協力してもらいピアサポート研修事業を開始しました。ピアサポート研修を受講した人が、それぞれの病院や地域でがんサロンを立ち上げる時はみんなでサポートする体制です。この活動がきっかけで、ピアサポートやサバイバーシップについて色々と勉強しているうちに、がん治療そのもの以外のケアに関してがん治療医が患者さんにとって最初のきっかけになることに気づきました。アメリカではがん治療チームの緩和ケアに関するガイドラインが出ているんです。それには、がん治療医を中心とするがん治療チームが緩和ケアのスクリーニングをして、まずは初期対応すなわち基本的緩和ケアを提供し、手に負えないときは専門的緩和ケアすなわち緩和ケアチームに繋ぎましょうと書いてあります。その基本的緩和ケアの中にアドバンスケアプランニングというのが出てきて、「聞いたことあるけど、何だろう」と思っていたのですが、僕はもともと半分は神経内科医だったのですよ。研修医時代に医局が神経内科の教授でしたから神経難病の患者さんを受け持っていたのです。ALSってご存知ですか?
古閑
うん。
佐々木
理論物理学者のホーキング博士が患った病気で、進行性の神経変性疾患です。ああいう病気って、だんだんコミュニケーションが取れなくなるから、患者さんと話し合って、将来そうなることと、どうするかをあらかじめ計画しておこうというのがアドバンスケアプランニングなんです。これはがんの患者さんにも言えるなあと思いましたし、ガイドラインにも全てのがんの患者さんでやりましょうと書いてありました。それで、熊本での最後の頃に抗がん剤治療を受けている自分の患者さんに積極的にやっていったんですよ。論文にはできなかったんですが、総説に書いたんです。そういうお話をしていくと、その患者さんたちは約半分の人がホスピスを見に行ったり、僕が治療医のまま、緩和ケアの医師と併診になったりしました。熊本はそういう環境がとても整っているんです。最終的に40例ぐらい連続で行い、観察した時点で30人近くが亡くなったんですが、その7割5分がホスピスか在宅で亡くなりました。自分たちでそういうことをやっていたんですね。予後もすごく良くて、2年以上だったんです。それで、これが大事だと思っていたら、肺がんで早期に緩和ケアをすると長生きできるという論文が2010年に出ました。
古閑
論文でも出てるんだ。
佐々木
『New England Journal of Medicine』に出ました。診断がついて治療が始まるときからコーピングというカウンセラーみたいな人がついて相談していく緩和ケアを早期にやった方が、(標準的な緩和ケアと比べて)3カ月ぐらいMST(生存期間中央値)が延びているんです。アバスチンって、知ってます?
古閑
知ってるよ。
佐々木
アバスチンって、VEGF(血管内皮細胞増殖因子)の抗体で、脳腫瘍でも使いますが、アバスチンが肺がんで生存を延ばすのが2カ月なんですよ。
古閑
でも、それは3カ月なんだ。
佐々木
僕はあのデータを見たときに、「3カ月延びるのか」と思いましたね。やろうとしていたことは正しかったと。それを一生懸命やっていたので、乳がん学会などにも呼ばれて、アドバンスケアプランニングの話をするようになったんです。

― そうだったんですね。

佐々木
ですから、今、北里で緩和ケア専門外来を自ら行っている理由は、熊本では逆の立場で僕ががん治療医として、周りの緩和ケアの先生に助けられた経験があるからなんです。北里では緩和ケアに特化したホスピスや緩和ケア専門の在宅医療の先生が極端に少なく、また連携自体もまだまだ発展途上でした。それなら、同じ病院内にがん治療に詳しい緩和ケア担当医師がいることは患者さんやがん治療医のためになるんじゃないかと思い、麻酔科の教授に無理を言ってやらせてもらっています。その緩和ケア専門外来の私の患者さんは、婦人科がん、泌尿器がん、血液がん、乳がんなど様々です。そういう患者さんたちの悩みというのは大きく分けて2パターンあります。一つは「治療はしたくないのに、主治医からやった方がいいと言われ、迷っている方」。もう一つは「治療したくて仕方ないんだけど、主治医からはもうすることがないと言われて落ち込んでいる方」。それぞれの患者さんには、まずその思いを受け止めて共感します。そのうえで、なぜそのように患者さんが思うのかを探ります。さらに、一般的なお話、今まで経験したことなどをできるだけわかりやすくゆっくりお話しして、なぜ主治医の先生がそのように説明されるのかを解説していきます。この外来の目的は、患者とがん治療医の相互理解の補助だと思っています。そういう意味では肺がんに限らずすべての領域のがん患者さんを診ていますね。
古閑
偉すぎるなあ。

科学的な目を持つ

佐々木
あるクリニックで「治療するな」と言われた、胚細胞腫瘍の患者さんもときどき来るんですよ。でも胚細胞腫瘍はケモ(化学療法)で治るかもしれないんですよ。
古閑
そうだよね。
佐々木
化学療法で治るかもしれない人が「化学療法をするな」と言われて、私の緩和ケア専門外来にいらしたので、話をして、「緩和の面でも症状を軽くするために治療を受けた方が良いと思いますよ。紹介元のクリニックの先生のところでもう一度お話しされてからでも良いですから、もう一度治療を受けることも考えてみてはいかがですか」と言ったところ、次の外来の時は治療を受けるとおっしゃり、治療に入ることができました。ようするに道案内外来ですね。

― 今はそういうクリニックもたくさんありますよね。

佐々木
そういうクリニックの患者さんは勉強している患者さんなんです。勉強していて、情報過多で悩んでいるだけです。否定しないことですよね。それを「そんなところに行くなよ。こっちの言うことを聞かないと、もう治療しないよ」という医師が多すぎます。そうなると、患者さんは本当に路頭に迷いますね。ただ、やっぱりインチキな免疫療法とか、放置療法とかをやっているところほど、優しいんです。
古閑
ああ。
佐々木
売上が高い店員さんと同じです(笑)。そこは非常に気をつけないと。患者さんがなぜそこに行ったのかというと、患者さんが悪いのではなく、行かせている自分がいるというふうに思えと、若い先生には言っています。
古閑
今は何でも情報が手に入るようになったけど、僕たちに共通しているのはサイエンスを勉強したこと。今はサイエンティフィックに裏づけされていない情報が氾濫しすぎて、普通の人は分別できない。情報がない時代よりも大変だから、困っちゃうね。
佐々木
そこで重要な働きをするのがピアサポート、患者さんの会です。そういうところに導いてあげます。そういう人たちはものすごく勉強していますし。そもそもインチキな免疫療法とか、放置療法に苦言を呈しているのは患者会なんです。がん対策基本法のきっかけになったのも患者会です。今の対策協議会の中には患者会の代表が入っていますので、がん診療連携拠点病院の認定要件に科学的根拠に基づかない治療をしている病院を外せという意見を出したら、ある病院はエビデンスの不十分な免疫療法を自由診療でやっているということで外されたんですよ。
古閑
やっていたんだ。
佐々木
実は北里系列の病院でもやっていて、ただし臨床研究として行っていたのですが。違う病院なのに、患者さんから「北里はやっている。佐々木先生はけしからん」と言われたりしました(笑)。
古閑
ハハハ(笑)
佐々木
一昨年のがん治療学会では血管療法をしている医師の講演を患者会が止めさせたこともありましたし、今は患者会の声は大きいですね。あのときのSNSなどのインターネットはすごかったですが、極端になるのが心配です。そこは冷静な目を持たなくてはいけません。古閑先生がおっしゃるように、科学的な目をいかに持ってもらうかということで始まったのががん教育。
古閑
なるほど。
佐々木
そもそもがん教育の前に理科といったレベルだと僕は思います。科学と捉えると冷たいという印象が日本人には強すぎます。患者さんと話していても、白黒はっきりつけるのは正しくないというか、ファジーなところがいいみたいなニュアンスがあるんですよね。

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  • プロフィール
    古閑 比佐志
    (こが ひさし)

    岩井整形外科内科病院
    副院長/教育研修部長

【略歴】
1962年千葉県船橋市生まれ。1988年に琉球大学を卒業し、琉球大学医学部附属病院で研修。
国内の複数の病院で脳神経外科医として勤務ののち、1998年にHeinrich-Pette-Institut fur Experimentelle Virologie und Immunologie an der Dept. of Tumorvirologyに留学。2000年に帰国後は、臨床と研究を進め、2005年にかずさDNA研究所地域結集型プロジェクト研究チームリーダーを経てかずさDNA研究所ゲノム医学研究室室長。
2009年より岩井整形外科内科病院 脊椎内視鏡医長として勤務、2015年より現職。

  • プロフィール
    佐々木 治一郎
    (ささき じいちろう)

    北里大学医学部附属新世紀医療開発センター教授
    北里大学病院集学的がん診療センター長

【略歴】
1964年熊本県生まれ。1991年に熊本大学を卒業し、1998年に熊本大学大学院を修了。
2000年から3年間、米国MDアンダーソンがんセンターで肺がん基礎研究に従事する。2004年に熊本大学医学部附属病院に勤務する。
2007年に熊本大学医学部附属病院がん診療センター長に就任し、肺がんの診療に加え、がん診療地域連携やがんサロンの普及活動に従事。2011年4月に北里大学医学部に准教授として着任。2014年2月に北里大学医学部附属新世紀医療開発センター教授に就任し、北里大学病院集学的がん診療センター長を兼任している。

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