第3回

見よう見まねではダメ。言語化することの大切さ

2017.12.1(Fri)

師匠のいない大学に戻る

― 日本に帰国して、大学病院に戻られたのですね。

稲木
金平先生がいない大学に戻りましたので、逆風も少し感じました。金平先生が師匠なのだという色をあまり出さないようにしつつ、でも私がやってきたことをやりたいという思いもありました。周りも多分、それを分かってくれていたので、色々な事情を加味しながら、やってきたことを評価してくれました。大学の状況も変わっていて、私がしたい消化器外科ができないことになったので、嘆願して、大学病院のお膝元である石川県立中央病院に行かせていただいたんです。石川県立中央病院に行くまでの大学病院での1年半は海外から帰ってきて、日本でどうやっていこうかということを考える準備期間でもありました。今、石川県立中央病院に来て10年経ったところです。長かったですが、私のやりたいことを着実に進められてきましたね。
金平
稲木が留学中も国際学会などでときどき会っていたのですが、会うたびにどんどん成長していました。日本のほかの医師と間近に比較すると、違いが際立っていましたね。既に持っていた力に強さが加わっていました。目力がすごいでしょう(笑)。そして、プレゼンテーションの能力が抜群に向上していました。もともとクリエイティブだし、コミュニケーションも上手な人でしたが、それが国際レベルに引き上がっていたんです。彼のプレゼンテーションを聞いたことがないかもしれませんが。

金平永二先生・稲木紀幸先生

― YouTubeに上がっていませんか。

稲木
そこまではないかもしれません。
金平
稲木が帰国した頃の学会で見たとき、その成長ぶりが際立っていたのが一番嬉しかったです。弟子の成長は何よりも嬉しいものです。

新しい臨床研修制度が始まる

― 帰国後は若手の教育をどう進められたのですか。

稲木
帰国したときは30代半ばでしたが、そうこうしているうちに30代後半から40代になり、教えるべき人間が自然と下に増えていました。そうなると、どうやって教えていこうかというときに、僕が金平先生に教えていただいたことを踏襲して、僕もそういう立場になっていきたいと思ったんです。まずは何よりも人間的な部分です。振る舞いなどを後輩に見せ、尊敬される人間になることが第一でした。その次にベッドサイドや学会活動ですね。僕が受けた影響を僕の後輩にも及ぼしたかったので、海外を含めて、色々な学会に連れていったり、もちろん手術も見せて、若手に興味を持たせたり、モチベーションを高めたいという気持ちでした。全て自分が受けた教育を真似した感じですね。

金平永二先生・稲木紀幸先生

― 先生がドイツから帰ってこられた2004年に新しい臨床研修制度が始まりました。

稲木
僕たちは学生のときに外科に入ると決めていましたが、それはファーストインプレッションや直感で決めたようなものです。しかし、新しい臨床研修制度が始まり、外科をローテートすると、患者さんに張り付きになったり、手術や救急が忙しかったりという現実を見てしまうので、敬遠される診療科になってきたということを強く感じました。こちらが「こいつは見込みがあるな」と思っていても、2年間の初期研修を終えるときには違う科を選んでいたり、外科から逃げられてしまうのが残念でしたね。しかし、そういう大変な科でも、こんなに魅力的なんだということを僕たちは彼らに見せてあげないといけないと思いながらやってきたところはあります。

― どういうふうに意識されるのですか。

稲木
嘘はつけないですから、現実を見て、それを感じてもらうしかないですね。辛い部分は仕方ないです。それ以上に頑張って、楽しいことや遣り甲斐のあることを色々なところで折に触れて教えていくことが僕がすべき活動だと思っています。

― 金平先生は初期研修医と触れ合う機会はおありになりますか。

金平
今はあまりないですね。稲木を見ていて、羨ましい、誇らしいと思うのは若手にすごく人気があるところです。稲木は胃の腹腔鏡手術では押しも押されもせぬ日本のトップスターで、日本のベスト10に入る外科医です。40代半ばで地位も実力もありますから、興味のある若い人たちが近寄ってきても、忙しさもあって相手にできないのが現実なのでしょうが、稲木は若手が近づいてくると、本当にフレンドリーで、皆に親切にして、情報交換をしています。何か目的があってそうしているのではなく、自然にやっているんですよ。帰国してからずっと変わらないですね。そんな稲木の人間性に人はまた惹きつけられます。学会に行くと、いつも稲木の周りに若手が集まっています。稲木は若手に囲まれて生きていて、若手が何を望んでいるのかを理解できているのだと思います。それはすごく大事なことなんですよ。素晴らしいですね。

金平永二先生

言語化することの大切さ

金平
アミーサ道場で教えているのは僕だけですが、アミーサ道場の理念は僕と稲木二人の共通のものです。何かと言うと、教えたいことを言語化するということです。見よう見まねでやらせるのではなく、しっかり見えるように言語化してやります。彼らが何を望んでいるのかを個別に考え、それに合うようにカスタマイズしたことを教えていきます。稲木もそうやってきているので、若手からの人望があるんでしょうね。
稲木
僕は幸いなことに、師匠から学ばせていただいたことがあります。言語化にあたって大事なことは平易な言葉でいいので、分かりやすく伝えるということです。それは患者さんへの説明にも通じますね。ゆっくり、相手にきちんと伝わるようにということを患者さんに対しても、若手に対しても意識しています。
金平
どんなビジネスであっても、人の心を読めると強いです。読めるというよりも分かるとか、完全に分からなくてもいいので、分かろうとすることが大事です。しかし、医師は置かれている社会的環境や受けてきた教育が独特なので、人の気持ちを理解するのが苦手な人もいます。そんな中で、稲木は人の気持ちを自然に理解しているから、それが優しさにも繋がっている。プレゼンでも聴衆が何を求めているかをいち早く察知し、それに合わせた臨機応変な対応ができているんですね。だから、若手が望む内容も理解し、それに一番適した言葉で教えることができる。これができる人はそんなに多くないです。
稲木
僕も金平先生がおっしゃっていたようなことに陥っていたことがありました。医師になって天狗になり、生意気な雰囲気で父に話していたんです。そうしたら、父から「お前は医師ばかりの世界にいるから、そんなことを言うんだ。それはおかしい」と怒られたことがあります。それを今ふと思い出しました。
金平
いいお父さんだなあ。
稲木
その意味では親父に感謝しています。父は医師ではなく、企業に勤めている会社員でしたが、私にそういうことをたしなめてくれる人は父しかいなかったですね。
金平
普段、こんなにディープな話はしないよね。こういう機会があって、良かった(笑)。

《 Next:ロボットとAIは外科手術をどう変えていくか? 第4回は12月28日更新! 》

  • プロフィール
    金平 永二
    (かねひら えいじ)

    メディカルトピア草加病院 病院長
    AMG内視鏡外科アカデミー 代表

【略歴】
京都府出身。1985年に金沢大学を卒業し、金沢大学医学部附属病院や関連病院で外科の研修をする。1991年から1992年までドイツTuebingen大学医学部外科 Gerhard Buess教授の指導のもと、内視鏡外科手術を学ぶ。2002年4月からフリーランス外科医として、患者や病院からの依頼を受け、内視鏡外科手術を行った。依頼手術を行った病院は全国60カ所以上にのぼる。2008年12月に上尾中央医科グループでAMG内視鏡外科アカデミーを発足させる。2012年1月に同グループが新たに建設したメディカルトピア草加病院に院長として着任。また、内視鏡外科道場「アミーサ」を主宰し、若手医師を育てている。

【資格】
日本外科学会専門医
日本消化器外科学会指導医
日本消化器内視鏡学会指導医
日本内視鏡外科学会技術認定医 など。

  • プロフィール
    稲木 紀幸
    (いなき のりゆき)

    石川県立中央病院消化器外科診療部長
    金沢医科大学一般・消化器外科非常勤講師
    金沢大学先進総合外科臨床准教授

【略歴】
1971年福井県生まれ。1997年に金沢大学を卒業し、第一外科(現 先進総合外科)に入局し、金沢大学医学部附属病院で研修医となる。 2004年6月にドイツTuebingen大学医学部外科最小侵襲外科部門 のGerhard Buess教授の指導を受けるほか、、新しい内視鏡手術機器の開発など、様々な活動を展開。 2006年の帰国後は金沢大学大学院医学研究科地域医療学講座助手を経て、2007年に石川県立中央病院消化器外科診療部長に就任。
また、金沢医科大学一般・消化器外科非常勤講師と、2017年からは金沢大学先進総合外科臨床准教授を併任している。

【資格】
日本消化器外科学会がん外科治療認定医・専門医・指導医
日本消化器内視鏡学会専門医・指導医・学術評議員
日本がん治療認定医機構認定医・暫定教育医・暫定胃腸科指導医
日本消化器病学会専門医
日本内視鏡外科学会技術認定医・評議員 など多数。

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