コラム・連載

2025.04.15|text by 石井 正

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第9回

初期研修医へのメッセージ その3

《 2025.04.15 》

先生の研修医時代の思い出をお聞かせください。

私は公立気仙沼総合病院で研修しました。現在の気仙沼市立病院ですね。1989年に研修を始めたので、かなり前のことです。そこで尊敬する先輩の一人である遠藤渉先生に出会いました。今はCTなどの画像はモニターにパラパラ漫画のように出てきますが、以前はそうではなく、焼いてからシャウカステンにがちゃんと貼っていました。遠藤先生はそれを一人で夢中になって見ておられました。ほかの研修医が話しかけても、その声が耳に入らず、集中して見ておられたことを今も覚えています。それから私の2学年上に板倉亮子先生という方がいらしたのですが、板倉先生からはカルテをきちんと書くようにとよく言われていました。

紙のカルテの時代ですね。

そうです。研修したての頃カルテを目の前にばーんと置かれて「カルテ書いといて」と言われ、「どう書けばいいのか分かりません」と答えたら、「自分で調べなさい」「いいから書いて」と言われていました(笑)。

心が折れませんでしたか。

いえ。忙しかったけれど、楽しかったです。基本的に皆が仲良く、夜は一緒によく飲みに行っていました。

同期は何人だったのですか。

同期はいません。当時の研修は原則3年間でした。1年目、2年目、3年目が1人ずついました。学年に1人というのは大変でしたね。土曜日、日曜日の当番は研修医が主に回診し、分からないことがあれば指導医に相談する体制でした。病棟を回診して、何もなければ帰れますので、その当番はそんなに辛くはなかったです。外科の病棟は2つあり、それを研修医が中心に担当しますので、大体2週間に1回くらい回ってきました。

なぜ公立気仙沼総合病院を研修先に選ばれたのですか。

テニス部の歴代の先輩方が研修していた病院だからです。1つ上の研修医の先生もテニス部の先輩でした。それで病院の良いところも悪いところもよく知っていましたし、先輩方には家族のようなイメージがありました。家族の中には感じの悪い兄ちゃんや弟がいますしね(笑)。そういう意味では良かったです。以前の連載でもお話ししましたが、遠藤先生は手術の天才なので、本当に勉強になりました。遠藤先生が鋏で切っても血が出ないのに、私が切るとなぜ血が出るのだろうと思っていました。

ほかに思い出に残っている先生はいらっしゃいますか。

当時の院長だった和賀井啓吉先生です。和賀井先生のご兄弟にはエコー診断装置を開発された方がいるらしく、和賀井先生ご自身も飛び級で卒業されたという噂があった神童のような方でした。私は和賀井先生と手術をご一緒したことはないのですが、回診のときは鋭いコメントを連発されるので、「世の中にはすごいお医者さんがいるんだなあ」と感動していたのを覚えています。例えば、甲状腺乳頭癌の患者さんに手術をした後、なぜか膿瘍のようなものができてなかなか治らず、「分からないなあ」と言っていると、総回診時に和賀井先生が「これはanaplastic changeだ」と急におっしゃったことがありました。甲状腺乳頭癌は未分化がんに変性することがあり、未分化がんになると、ばーっと大きくなってしまうんです。和賀井先生から「既に変性しているはずだから、もう一回、病理を取れ」と言われ、実際に検査をすると、その通りでした。皆で「おお」となりましたね。和賀井先生が指摘されるまで、誰も気づかなかったのです。

良い研修を受けられたのですね。

手技もどんどんさせていただけました。旧帝大の中では名古屋大学と東北大学にははるか以前から外の関連病院で初期臨床研修する制度があったので、病院側が右も左も分からない初期研修医を受け入れる体制に慣れていたし、「研修医には経験させるものだよね」というコンセンサスが病院の隅々にまで行き届いていました。それで、私は東北大学の学生に東北大学病院や東北大学の関連病院での初期臨床研修を勧めているのです。現在の臨床研修制度は2004年に始まりましたが、このときに初めて初期研修医を受け入れるようになった病院よりも以前から初期研修医を受け入れていた病院のほうが研修医に手技などをさせることに慣れているのかもしれません。その意味では私も「自分でいいんですか」みたいなケースでも「いいからやれ」と経験させてもらっていました。東北大学の関連病院は今もその伝統が受け継がれていると思います。

著者プロフィール

著者名:石井 正

石井正教授 近影

1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。

日本外科学会外科専門医・指導医、日本消化器外科学会消化器外科専門医・指導医、日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医・指導医、社会医学系専門医・指導医など。

石井正教授の連載第3シリーズは石井教授から高校生、大学生、研修医、専攻医に向けたメッセージをお送りします。

バックナンバー
  1. 地域医療を担う人材育成
  2. 10. 東北大学病院の初期研修プログラム
  3. 09. 初期研修医へのメッセージ その3
  4. 08. 初期研修医へのメッセージ その2
  5. 07. 初期研修医へのメッセージ その1
  6. 06. 医学生へのメッセージ その3
  7. 05. 医学生へのメッセージ その2
  8. 04. 医学生へのメッセージ その1
  9. 03. 医学部を目指す高校生へのメッセージ その2
  10. 02. 医学部を目指す高校生へのメッセージ その1
  11. 01. 能登半島地震の被災地への支援
  12. シーズン2地域医療を支えた東北大学病院の教え
  13. シーズン1継続可能な地域医療体制について

 

  • Dr.井原 裕 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
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  • Dr.武田憲夫 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
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  • Dr.菊池臣一 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
  • Dr.安藤正明 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長
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