コラム・連載

内藤証券中国部のキーマンが見た「中国株の底流」

中国株の誕生前夜

2017.2.5|text by 千原 靖弘(内藤証券中国部 情報統括次長)

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「中国株」の定義

中国株とは何か?さまざまな定義があるが、とりあえず「香港・マカオ・台湾を除いた中華人民共和国(中国本土)で発行された株式」ということにして、話を進めていこう。

上海市と広東省深圳市に証券取引所が開業したのは1990年12月。では、中国株の歴史はここから始まったのだろうか?答えはノーだ。中国株は証券取引所の開業以前から存在していた。

では、中国株はいつ誕生したのか?そもそもの発端は1978年に遡る。この年の中国社会はどんな状態だったのか?それは10年以上に及んだ大混乱で疲弊し、貧しさばかりが目立つ社会だった。

毛沢東の亡霊

紅衛兵に批判される大学関係者 1976年10月6日に江青を中心とした四人組が逮捕され、10年以上も続いたプロレタリア文化大革命(文革)が終結。鄧小平は人生3度目の失脚の憂き目にあっていたが、1977年7月に開かれた中国共産党の第10期中央委員会第3回全体会議(第10期三中全会)で、党副主席(副首相)などの要職に復帰した。

華国峰・党主席(首相)の下で要職に復帰した鄧小平は、疲弊した中国の再建に取り組むことになったが、その最大の障害は毛沢東の亡霊だった。

文革当時の中国は、おとぎ話に出てくるような不思議な国だった。学校では成績優秀者が“知識分子”として敵視され、勉強のできない生徒が褒められた。黄金は“階級搾取による不義の財産”と呼ばれ、これを公衆の面前で街角のゴミ箱に捨てる人もいた。資本主義を匂わすものは徹底的に批判され、それに関連する人物には恐ろしい運命が待ち構えていた。そうした感覚が恐怖とともに人々の頭に染みついていた。

文革終結後の1978年1月に鄧小平は四川省成都市を訪れたが、その時に語った話がある。「少し前に広東省で聞いたのだが、ある地方ではアヒルを3羽ほど飼うだけなら社会主義とされ、飼うのが5羽になると資本主義とされるそうだ。本当に変な話だ!」――。文革期の政治運動は、農村のすみずみにも及び、人々を洗脳していた。

文革を過ごした人々の頭の中は、こうした状態だった。政府要人の頭の中も似たようなもので、鄧小平の上に立つ華国峰は、文革継続の毛沢東路線を主張していた。まさに毛沢東の亡霊に取り憑かれていた。

風向きが変わった

華国鋒の宣伝画 鄧小平は1978年9月に北朝鮮を訪問した帰路、中国の東北地方を視察した。その際に語ったとされる一連の内容は「北方談話」と呼ばれる。それは中国の現状に対する鋭い批判だった。

「我々はあまりにも貧しく、あまりにも落ちぶれている。人々に対して本当に申し訳ない」――。これは遼寧省瀋陽市を訪問した際の発言。続いて河北省唐山市を訪れた時は、「社会主義が優位性を発揮しているというのなら、どうして今のような有様なのだ。二十数年も社会主義をやり続けて、それでもこんなに貧しい。いままで社会主義はいったい何をやってきたのか!」と嘆いた。

第11期全国代表大会
華国鋒(左端)と鄧小平(中央)
こうした考えの鄧小平が、毛沢東の亡霊のような華国峰と相容れるはずもない。鄧小平は1978年11月10日に始まった中央工作会議で、華国峰が主張する毛沢東路線を厳しく批判。鄧小平は党幹部の頭の中を“洗濯”した。だが、10年以上かけて染みついた思想は、なかなか抜けない。中央工作会議は36日という異例の長さとなった。

1978年11月の中央経済工作会議 中央工作会議は12月15日に鄧小平の勝利で終了した。その直後の12月18日に中国共産党の第11期中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)が開かれ、華国峰は失脚。ついに鄧小平が権力を掌握した。

第11期三中全会での鄧小平 第11期三中全会の閉幕に際し、鄧小平が語ったのが「イデオロギーの束縛から自由になれ!頭を働かせろ!何が正しいのかは、事実から導き出せ!」だった。文革の傷はまだまだ癒えないが、人々は政治の風向きが大きく変わったことを感じた。

中国株の誕生前夜

株式と証券取引は私有財産制度、市場経済に基づくものであり、まさに資本主義の象徴的存在。これは社会主義の公有財産制度、計画経済と相反するものであり、共産党政権が弾圧すべき対象だ。風向きが変わったとは言え、まだまだ多くの人々が毛沢東の亡霊に取り憑かれており、巨大な中国の行政機構に巣食っていた。株式という言葉は1978年の中国では危険なNGワードであり、それについて語ることは憚られた。

株式制度が誕生する直前の状況としては、中国ほど暗澹たるものはなかったが、風向きは変わった。鄧小平を最高指導者に迎えた1978年を契機に、中国に住む10億人、世界総人口の5分の1以上が、新しい時代へと歩み出した。新しい最高指導者の顔色をうかがいながら、そろりそろりと慎重に……。これが中国株の誕生前夜だった。

バックナンバー
  1. 内藤証券中国部のキーマンが
    見た「中国株の底流」
  2. 22. 欲望、腐敗、流血 NEW!
  3. 21. 悪意の萌芽
  4. 20. 文化広場の株式市場
  5. 19. 大暴れした上海市場
  6. 18. ニーハオ!B株
  7. 17. 上海市場の株券を回収せよ!
  8. 16. 深圳市場を蘇生せよ!
  9. 15. 上海証券取引所のドタバタ開業
  10. 14. 半年で取引所を開業せよ!
  11. 13. 2度も開業した深セン証券取引所
  12. 12. 2人の大物と日本帰りの男
  13. 11. 株券狂想曲と中国株の存続危機
  14. 10. 経済特区の株券
  15. 09. “百万元”と呼ばれた男
  16. 08. 鄧小平からの贈り物
  17. 07. 世界一小さな取引所
  18. 06. こっそりと開いた証券市場
  19. 05. 目覚めた上海の投資家
  20. 04. 魔都の証券市場
  21. 03. 中国各地の暗闘者
  22. 02. 赤レンガから生まれた中国株
  23. 01. 中国株の誕生前夜
  24. 00. はじめに

筆者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券中国部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。