iPS細胞技術を活用した未来の医療について

2020.11.20|text by 岡野 栄之

第3回

『アルツハイマー病の解明』

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アルツハイマー病の解明

もう一つのiPS細胞の医療応用について、お話したいと思います。
再生医療への応用につきましては、今お話した通りですが、病気の原因の解明については、世界的にも競争が非常に激しく、強い技術として注目されています。
我々はこれまで、東京にいるという地の利を活かして、非常に多くの大学や医療機関と共同研究し、ここに述べるような30ぐらいの疾患からのiPS細胞の樹立とそれを使った病態の解明を進めています。

認知症として有名なアルツハイマー病は、血管性痴呆と違い、病理像として老人斑というアミロイドプラーク、そして神経原線維変の2つを伴う病気です。
これまでは、患者さんがお亡くなりになってから脳を解剖して、このような病理的変化があることなどをもってアルツハイマー病と診断していました。しかし現在では色々な診断技術が向上し、患者さんがご存命中にアルツハイマー病を診断することが可能になりました。
患者さんの皮膚の細胞からiPS細胞を作り、そして神経細胞にします。この細胞は受精後5.5日の細胞ですから、ここまで来ますと、生まれたばかりの赤ちゃんの神経細胞と同じです。つまり、患者さんが発症する前の状況を作り出し、どのような時間経過をたどって、このような異常が出てくるのかという、病気のナチュラルヒストリーの研究、そして、その病気の進行を阻む薬の原因解明となります。
脳細胞を血液由来の細胞で何とか原因を解明しようとする、時間と空間を超えた新しい解析手法と言えます。

アルツハイマー病の発症につきましては、βアミロイド、あるいは中心として老人斑という構造ができるアミロイド仮説という有名な考え方があります。これがアルツハイマー病を引き起こしていく初期のイベントです。
そのあと、遺伝要因や環境要因と相互作用しながら神経細胞の異常が起き、神経細胞死、認知症と進んでいくわけです。

我々はまず、遺伝子性素因の存在を明らかにしようということで、はじめに家族性のアルツハイマー病の患者さんからiPS細胞を樹立して、アルツハイマー病由来の神経細胞にしました。
アルツハイマー病の患者さんから作ったiPS細胞を分化させると、ニューロンは正常時の倍ぐらいの量のβアミロイド40の悪玉物質を発現していることが分かりました。つまり、パーキンソン病は老年期で発症するものでありますが、このような遺伝子の変異の質によっては、生後1カ月ぐらいで既に表現形が介在しています。
したがって、痴呆症状が始まってから対症療法を始めるのではなく、赤ちゃんが生まれたときから、将来、アルツハイマー病にどれだけの確率でなるかということが、ある程度、予想がつくようになってきているということです。

このβアミロイドの産生をブロックする薬があるかということですが、これはどなたでも神経細胞の表面にある物質である、アミロイド前駆体タンパク質がブロックします。これをBACE-1という酵素で切ります。ここでガンマ・セクレターゼという酵素によって切断されやすくなります。その結果、このアミロイド斑、すなわち老人斑を作る素になる分子であるAβというものが切り出されます。
このようなタンパク質分解酵素に対するβアミロイド4つの産生が抑えられるかということを次に研究したところ、見事に抑えることがわかりました。
しかしながら、これは色々な副作用があり、これだけでは効きません。むしろ、ガンマ・セクレターゼというものはアミロイド10のみの基質ではなく、色々な幹細胞の活性化に必要なNotchシグナルにも効いてしまうので、甚大な副作用が出てきます。
ところが、アミロイド前駆体タンパク質に対して、非常に特異性の高い阻害薬、βアミロイド修飾薬と呼んでいますが、アミロイド前駆体タンパク質にだけ働き、それ以外のタンパク質に働かないという、化合物が開発されてきました。
こちらの旧世代のガンマ・セクレターゼ阻害薬ですと、先ほども言いましたように、色々なNotchシグナルというシグナルがブロックされ、その結果、自己免疫疾患が発症したりするなど、色々なことが起ります。
甚大な副作用なので、こちらのガンマ・セクレターゼ阻害薬を薬にしようと、製薬会社にアプローチしても難しい状況です。このようなアミロイド前駆体タンパク質に非常に特異性の高いガンマ・セクレターゼ修飾薬は注目されています。
このようにアルツハイマー病の患者さんからのiPS細胞で神経細胞を作ると、βアミロイドが増加しますが、どういう薬を投与すれば治療効果が上がるのかということが試験管内で分かるということです。
そして、アルツハイマー病の病態解明においても、βアミロイドが必ず増加するということが分かってきました。
これらは言ってみれば、新規の診断治療法では、あなたは将来、アルツハイマー病になるかもしれないといったことをiPS細胞技術で確かめることができるということです。
将来、認知症になるということを告知されたくないということもありますが、早く治療を開始して、決定的に認知症になる前に、それ以上、症状が進まないようにするのも重要なことだと言えます。

こういった積極的な医療は先制医療とも呼ばれています。アンジェリーナ・ジョリーは自身の遺伝子に色々な変異があるということが分かり、 2013年2月、健康な両乳房を切除して再建する手術を行い、2015年3月には卵巣を摘出しています。
がん抑制遺伝子が変異すると87%という、非常に高い確率で乳がんを起こすということが知られています。彼女は叔母さんをこのような遺伝子の変化によって、亡くされています。ですから、将来、乳がんになるかもしれないという不安にかられながらの生活ではなく、発症前に両側の乳房を切除するという決断をしたのでしょう。
このような予防的な切除は我が国ではなかなかできなかったわけですが、最近ようやく、この方法を意識して、いくつかの病院の倫理委員会で承認を得て、実際に治療が始まっていると聞いています。これはラジカルな治療法ですから、非常に議論を呼びますが、お薬を早めに飲み始めればできるということです。

アルツハイマー病の発症が70歳だとすると、生物学的には30年前から異常が起きていることが知られています。
全く症状がない時期、そして軽度認知障害、ちょっと忘れっぽいといったことなどから痴呆となりますが、全く症状がないときにもβアミロイドはどんどん蓄積するといったイベントが起きているということが分かってきたのです。
すなわち、患者さんは日々の生活にも困るような痴呆症状になってから病院に連れてこられても、なかなか治す術がありません。
先ほどのガンマ・セクレターゼモジュレーターもこの時期に投与すると治療効果がないということがわかっています。本来、飽和してしまってからでは、遅いのです。ですから、もっと早い時期に投与して、最後の増殖を止めることが重要ではないかと考えられます。
早期の治療開始によって病気の進行を食い止め、発症を遅らせることができるかもしれません。

再生医療とは、今そこにいる難病の患者さんを救う医療であり、先制医療は将来、難病になる可能性のある人をならないように予防することなのです。
すなわち、遺伝子の配列を使ったバイオインファーマティクスや様々な技術を集約して難病予防を可能にすることができるであろうと考えています。
先日、来日されたオバマ大統領は非常にアクティブな方で、彼なりのメッセージとして、いかに科学技術を進めるかということを重要視しています。
この中でアルツハイマー病も非常に重要な標的として出てきますので、何とかiPS技術と、今回はお話しができませんでしたが、遺伝子間変動動物、遺伝子間変動霊長類、これを使って明らかにしていきたいと思っている次第です。
1日も早く安全なiPS細胞をということで、2017、2018年の臨床応用を目指して、慶應義塾大学の整形外科の中村雅也教授、東北大学の青木正志教授とは15年来に渡って研究しております。2006年からは山中伸弥教授とも共同研究を行っております。
また、ALSという神経の難病中の難病の新しい治療法の開発といったものに関しまして、第Ⅰ-Ⅱa相試験、実際の臨床の治験が始まっていますので、これらを組み合わせまして、1日も早く患者さんにお届けしたいと思っております。

著者プロフィール

岡野栄之教授 近影

著者名:岡野 栄之

慶應義塾大学医学部生理学教室 教授

  • 昭和49 (1974) 年 3月 東京都世田谷区立山崎中学校卒業
  • 昭和52 (1977) 年 3月 慶應義塾志木高等学校卒業
  • 昭和52 (1977) 年 4月 慶應義塾大学医学部入学
  • 昭和58 (1983) 年 3月 慶應義塾大学医学部卒業
  • 昭和58 (1983) 年 4月 慶應義塾大学医学部生理学教室(塚田裕三教授)助手
  • 昭和60 (1985) 年 8月 大阪大学蛋白質研究所(御子柴克彦教授)助手
  • 平成元 (1989) 年10月 米国ジョンス・ホプキンス大学医学部生物化学教室研究員
  • 平成 4 (1992) 年 4月 東京大学医科学研究所化学研究部(御子柴克彦教授)助手
  • 平成 6 (1994) 年 9月 筑波大学基礎医学系分子神経生物学教授
  • 平成 9 (1997) 年 4月 大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授
  • (平成11 (1999) 年 4月より大学院重点化に伴い大阪大学大学院医学系研究科教授)
  • 平成13 (2001) 年 4月 慶應義塾大学医学部生理学教室教授〜現在に至る)
  • 平成15 (2003) 年より21世紀COEプログラム「幹細胞医学と免疫学の基礎-臨床一体型拠点」拠点リーダー
  • 平成19 (2007) 年10月 慶應義塾大学大学院医学研究科委員長
  • 平成20 (2008) 年 7月 グローバルCOEプログラム「幹細胞医学のための教育研究拠点」(医学系、慶應義塾大学)拠点リーダー
  • 平成20 (2008) 年 オーストラリア・Queensland大学客員教授〜現在に至る
  • 平成22 (2010) 年 3月 内閣府・最先端研究開発支援プログラム (FIRSTプログラム)
  • 「心を生み出す神経基盤の遺伝学的解析の戦略的展開」・中心研究者 (〜平成26年3月まで)
  • 平成25 (2013) 年 4月 JST・再生医療実現拠点ネットワークプログラム(拠点A)
  • 「iPS細胞由来神経前駆細胞を用いた脊髄損傷・脳梗塞の再生医療」・拠点長
  • 平成26 (2014) 年 6月 文部科学省・革新的技術による脳機能ネットワーク全容解明プロジェクト(中核機関・理化学研究所)・代表研究者
  • 平成27 (2015) 年 4月 慶應義塾大学医学部長(~平成29年9月)
  • 平成29 (2017) 年10月 慶應義塾大学大学院医学研究科委員長(~現在に至る)
  • 平成29 (2017) 年10月 国立大学法人お茶の水女子大学学長特別招聘教授(~現在に至る)
  • 平成29 (2017) 年10月 北京大学医学部客員教授(~現在に至る)
主たる研究領域

分子神経生物学、発生生物学、再生医学

受賞歴
  • 昭和63 (1988) 年 慶應義塾大学医学部同窓会・三四会より三四会賞受賞
  • 平成7 (1995) 年 加藤淑裕記念事業団より加藤淑裕賞受賞
  • 平成10 (1998) 年 慶應義塾大学医学部より、北里賞受賞
  • 平成13 (2001) 年 ブレインサイエンス振興財団より、塚原仲晃賞受賞
  • 平成16 (2004) 年 東京テクノフォーラム21より、ゴールドメダル賞受賞
  • 平成16 (2004) 年 日本医師会より、日本医師会医学賞受賞
  • 平成16 (2004) 年 イタリアCatania大学より、Distinguished Scientists Award受賞
  • 平成18 (2006) 年 文部科学省より「幹細胞システムに基づく中枢神経系の発生・再生研究」文部科学大臣表彰(科学技術賞)
  • 平成19 (2007) 年 STEM CELLS (AlphaMed Press) より、STEM CELLS Lead Reviewer Award受賞
  • 平成20 (2008) 年 井上科学振興財団より井上学術賞
  • 平成21 (2009) 年 紫綬褒章受章「神経科学」
  • 平成23 (2011) 年 日本再生医療学会よりJohnson & Johnson Innovation Award受賞
  • 平成25 (2013) 年 Stem Cell Innovator Award受賞
  • (GeneExpression Systems & Apasani Research Conference USAより)
  • 平成26 (2014) 年 第51回ベルツ賞(1等賞) 受賞
  • 平成28 (2016) 年 The Association for the Study of Neurons and Diseases (A.N.D.) よりMolecular Brain Award受賞
  • 平成28 (2016) 年 慶應義塾大学よりFaculty Award for Internalization 2016 (Impact factor Most Outstanding Award) 受賞
資格・学位
  • 昭和58 (1983) 年 7月 医師免許(昭和58年5月医師国家試験合格)
  • 昭和63 (1988) 年 7月 慶應義塾大学より医学博士
学術誌編集
  • Inflammation and Regeneration, Editor-in-Chief
  • Development of Growth Differentiation, Editor
  • The Keio Journal of Medicine, Editor
  • Stem Cell Reports, Associate Editor
  • eLife, Board of Reviewing Editors
  • Cell & Tissue Research, Section Editor (2003~2006)
  • Neuroscience Research, Associate Editor
  • J. Neuroscience Research, Associate Editor
  • Genes to Cells, Associate Editor
  • International Journal of Developmental Neuroscience, Associate Editor(2000~2003)
  • Stem Cells, Editorial Board
  • Cell Stem Cell, Editorial Board
  • Developmental Neuroscience, Editorial Board
  • Differentiation, Editorial Board
  • Regenerative Medicine, Editorial Board
バックナンバー
  1. iPS細胞技術を活用した未来の医療について
  2. 03. アルツハイマー病の解明
  3. 02. 脊髄再生への挑戦
  4. 01. iPS細胞技術研究の意義

 

  • Dr.井原 裕 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
  • Dr.木下 平 がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
  • Dr.武田憲夫 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
  • Dr.一瀬幸人 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
  • Dr.菊池臣一 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
  • Dr.安藤正明 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長
  • 技術の伝承-大木永二Dr
  • 技術の伝承-赤星隆幸Dr