コラム・連載

2022.03.15|text by 石井 正

第10回 医師を目指す

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第10回

医師を目指す

《 2022.03.15 》

先生が医師を目指した理由をお聞かせください。

提供元:東北大学病院 父が精神科の医師だったことがきっかけです。私が毎年6月に1年生に講義をしているというお話は第6回でもしましたが、入学してすぐの学生は受験の勝利者だ、勝ち組だ、選ばれた人間なのだと天下を獲ったような気分になって浮かれているので、そうではないよと言っています。講義後に学生からのアンケートを見ると、「勉強になりました」「これから頑張ります」「卒業後のキャリアのイメージがつきました」とお世辞のようなコメントが書いてありますが、内心は多分、不愉快でしょう(笑)。その講義のときに「皆さんは医学部を志した理由として、病気の人を救いたいから、医学・生命に興味があったから、医療過疎地域の役に立ちたいから、などと言うけれども、本当なのか」と問いかけています。大学入学当時の私の本音は成績がまあまあ良かった、社会的ステータスが高い、安定した生涯収入があるといったことも志望動機の1つであった、と話し、学生にも「本当はこんなところでしょう」と言っているんです。

先生のお父様はどのような先生でいらっしゃるのですか。

私が小さい頃は東京都立松沢病院に勤務していて、私たち家族もその近所に住んでいました。病院にいる父の白衣姿はかっこよく見えましたね。父は現在の日本認知症学会の前身である老年期脳障害研究会を設立したり、東京都精神医学総合研究所を立ち上げ、レビー小体型認知症の発見に貢献しました。かつては精神科の患者さんは全て閉じ込められていて、きちんとした医療を受けられないまま、普通の病気で次々に亡くなっていたんです。父はその状況に疑問を持ち、開放病棟の必要性を提唱し、松沢病院で開放病棟を作ったそうです。父は研究熱心で、アルツハイマー病で脳に蛋白質が沈着するのは脳内の免疫反応の結果であるということを世界で初めて発見したのだそうです。当時の精神科では統合失調症がメインで、認知症やアルツハイマー病は傍流みたいな感じでしたが、今は認知症やアルツハイマーの方も注目されています。私はそうした父の姿から医師を志したわけですが、講義で話している不純な理由も正直ありましたね(笑)。

東北大学を選ばれたのはどうしてですか。

提供元:石井正 総合大学に行き、他学部の友だちを作った方がいいのではないかと勧められたからです。東北大学は寒いところにあるのが良かったです。と言うのも、私の両親の地元は岡山なので、小さい頃から岡山によく行っていたのですが、岡山のゴキブリは大きいんですよ(笑)。東京もゴキブリが多いですし、寒いところだとゴキブリもいないかなと思い、東北大学にしました。私は2浪しているんです。大学受験を3年やり、毎年2校受験しました。結果は2浪目の東北大学のみ合格、つまり1勝5敗だったので、出来が良かったわけではありません。私も6月の講義の際に、学生に「何で東北大学にしたの」と聞いています。東北大学の学生は正直に手を挙げてくれるので笑ってしまうのですが、「センター試験をしくじったから」という人が結構います。センター試験は今は共通テストですね。東北大学は共通テストの得点を250点に圧縮するので、950点満点の二次試験(総合1200点)で逆転可能なんですよ。

硬式庭球部に入る

東北大学に入られて、部活動は何をされたのですか。

医学部の硬式庭球部に入りました。万年補欠でしたが、6年間続けました。そして去年、硬式庭球部の部長になったんです。これまでは形成外科の館正弘教授が部長をされていたのですが、2021年度末で退官されることになり、私にお鉢が回ってきました。館先生はテニス界では伝説の人物なんです。その先生から「お前がやれ」と言われ、「私は補欠でしたが、いいんですか」と聞いたら、「いいからやれ」と言われたので、逆らえませんでした(笑)。

硬式庭球部で思い出に残っていることはありますか。

万年補欠だったのに、副キャプテンに任命されたことでしょうか。あとで任命された理由を聞いたところ、私は練習メニューを作るのが得意だったからだそうです。

今は部長として、学生とどのように触れ合っていらっしゃるのですか。

部長になる以前から寄付をしていました。執行部が入れ替わるときに挨拶回りと称して、寄付を集める風習があります。新執行部の学生が来ると「はいはい」とお金を渡していましたが、それが大会に出場するときの交通費の補助となるんですね。また、部誌の『球友』を毎年OBに封書で送っているので、部長になってからはそこに部活動の現状のリポートを書いたりしています。それでOBの皆さんからご寄付をいただければと思っています。目標は青葉山キャンパスにテニスコートを作ることです(笑)。

著者プロフィール

石井正教授 近影 (c)稲垣純也

著者名:石井 正

1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 総合外科)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長に異動し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。

日本外科学会外科専門医・指導医、日本消化器外科学会消化器外科専門医・指導医、日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医・指導医、社会医学系専門医・指導医など。

バックナンバー
  1. 継続可能な地域医療体制について
  2. 13. 東日本大震災発災当日
  3. 12. 石巻赤十字病院に着任する
  4. 11. 外科医を志す
  5. 10. 医師を目指す
  6. 09. 宮城県抗体カクテル療法センター
  7. 08. 東北大学大規模ワクチン接種センター
  8. 07. 新型コロナウイルスの第5波を乗り越える
  9. 06. 医学生を教育する
  10. 05. 病院総合医を養成する
  11. 04. 食道アカラシアの研究
  12. 03. 感染災害の現場
  13. 02. 新型コロナウイルス感染症の最前線に立つ
  14. 01. 東北大学診療所を開設する

 

  • Dr.井原 裕 精神科医とは、病気ではなく人間を診るもの 井原 裕Dr. 獨協医科大学越谷病院 こころの診療科教授
  • Dr.木下 平 がん専門病院での研修の奨め 木下 平Dr. 愛知県がんセンター 総長
  • Dr.武田憲夫 医学研究のすすめ 武田 憲夫Dr. 鶴岡市立湯田川温泉リハビリテーション病院 院長
  • Dr.一瀬幸人 私の研究 一瀬 幸人Dr. 国立病院機構 九州がんセンター 臨床研究センター長
  • Dr.菊池臣一 次代を担う君達へ 菊池 臣一Dr. 福島県立医科大学 前理事長兼学長
  • Dr.安藤正明 若い医師へ向けたメッセージ 安藤 正明Dr. 倉敷成人病センター 副院長・内視鏡手術センター長
  • 技術の伝承-大木永二Dr
  • 技術の伝承-赤星隆幸Dr