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至高のネットワークで洗練されたチーム医療を

【第5回】鳥取大学医学部附属病院
高度救命救急センターの教授に

《 2025.5.15 》

Q. 鳥取大学医学部附属病院に教授として着任された経緯をお聞かせください。

京都アニメーションの事件が起きる数カ月前に、鳥取大学の幹部の方から「救急を再建できる人を探しているので、話を聞いてほしい」と言われ、お話を伺ったのがきっかけです。

その後、何回かお話を伺っている途中で京アニの事件が起き治療に集中する期間が必要となったため、ある程度落ち着くまでは静観していただくことになりました。鳥取大学の方も「そちらに集中してください」という感じでしたし、私も京アニ放火事件の傷病者の治療に集中できました。それが落ち着き、鳥取大学のお話をまた何回か伺うようになりました。

Q. 鳥取には何かご縁があったのですか。

全くないです。親戚もいませんし、寒そうなところだと思っていました(笑)。街にどのような魅力があるのかどうかも分からなかったのですが、一つ言えることは誰かが外部から入らないと再建できないという雰囲気があったことです。

医師や看護師が右か左かを迷ったときに「どっちがいい」ということをアドバイスする人、あるいは「困ったときには俺が守ってやる」と言ってくれる船頭さんのような人が必要だと感じました。そういう存在さえいれば、あとはレールに乗って進むのではないかという印象を受けましたし、「自分たちで様々なことを吸収して、成長したい」というスタッフの雰囲気も垣間見えたので、そういう仕事に携わる機会も人生に一度はあっていいのかなと思い、お引き受けしました。

Q. 着任されてから、高度救命救急センターの組織をどのように作っていかれたのですか。

高度救命救急センターのスタッフの個人の能力は低くはなく、むしろ高いほうでしたが、彼らに圧倒的になかったのは自信です。自分たちがしていることが正しいのか、正しくないのかが分からなかったんですね。

そこで、しっかりディスカッションすることにしました。それから朝のカンファレンスも基本的にはアカデミックカンファレンスの形をとり、ガイドラインに基づいた診療方針や検査の話をして、ずれていることがあれば、なぜずれているのかという話もしました。そういう普通のアカデミックカンファレンスをきちんと行い、きちんと回診をして、きちんと治療をしようということを徹底しました。

ー 素晴らしいですね。

昨今の救命救急センターは患者さんを右から左に流す、他科に患者さんを回すというスタイルが主流になっていますが、それでは患者さんの生命を助けることに繋がらない面もありますので、自分たちできちんと評価して、自分たちでできる治療をすること、そして退院や転院にもっていくという責任を持つこと、ほかの診療科との連携をきちんとすることも大事にしていきました。

そうした連携にあたっては自分たちに自信がないとできないので、毎年テーマを作っています。

これはプロ野球チームが毎年掲げるスローガンと同じで、こういうテーマを作ることによって、自信が植えつけられます。そして、それが数字に出てくるんです。敗血症の患者さんが助かった、外傷の患者さんも助かったなど、自分たちがやってきたことが形として表れるので、「やればできるじゃん」という、さらなる自信を自分たちで感じてもらい、そこから組織を高めていくというマネジメントを行いました。

Q. スタッフ数も増えましたよね

そうですね。ただ、もう少し鳥取大学の卒業生に残ってほしいです。卒業生が残るのが一番いいのですが、今は逆にほかの土地から「鳥取でチャレンジしたい」という人たちが集まってきているので、それはそれで有り難いなと思っています。

Q. 現在の高度救命救急センターの特徴をお聞かせください。

救命救急センターの中でも最後の砦ですが、その中で薬物中毒、熱傷、切断肢など、ほかの救命救急センターでは診られないような患者さんも集約して診ています。

地域の最後の砦としての機能を果たすことが一番の役割です。

Q. ドクターヘリの稼働についてはいかがですか。

年間500件あまり稼働しており、私自身は月に6回ほど乗っています。

Q. 医学生への教育で心がけていることをお聞かせください。

日本人は海外の人に比べて、なぜ医学部に入ったのか、なぜ医師になろうと思ったのかという志がそこまで高くありません。もちろん志が高い人もいますし、高くなくてもいいのですが、医学だけではなく、もう少し一般社会について知ってほしいと言っています。

世の中の動きを見ながら、その中で自分がどのような立ち位置にいるべきかを客観的に見て、今何をすべきかを考えつつ、時間を大切にして毎日を楽しんでもらいたいですね。それが患者さんを救うことに役に立つはずです。

Q. 研修医や専攻医に向けてはいかがですか。

卒後教育では技術を磨いていくことは当たり前のことです。

私の父は「大金持ちになりたいのであれば、医師になるべきではない」と言っていましたが、私も同感です。医師も小金ぐらいは稼げますが、楽をして一杯稼げる道はありません。それなりの努力が必要です。

技術がしっかり自分のものになるには3、4年では絶対に無理です。何年後に自分はどういう位置にいるのかというビジョンを持ちながら努力を重ね、技術が自分のものになれば、あとから結果がついてきます。楽をして、甘い汁をすすろうとするなということは言いたいです。

Q. これからの救急医療はどのように変わっていくとお考えですか。

これまでの救急には若い患者さんが多かったのですが、日本は超高齢社会になっているので、これからは高齢者の救急にシフトしていかなければいけないと思っています。

これまでは患者さんの年齢だけを見て、「それだけ長生きしていたらいいよね」という傾向がありましたが、今は高齢の方の中にも元気な方が大勢いらっしゃいます。

したがって、救急医療を提供するにあたってはそうした固定観念を振り払って、一回リセットし、自分たちが置かれた立ち位置を客観的に見て、それに見合った医療技術を提供することに努力を続けなくてはいけないのではないかと考えています。

著者プロフィール

上田 敬博Dr.上田 敬博

鳥取大学医学部附属病院 高度救命救急センター 上田敬博教授

1971年に福岡県福岡市で生まれる。1999年に近畿大学を卒業後、東神戸病院で研修医となる。2001年に大阪府立千里救命救急センター(現:大阪府済生会千里病院千里救命救急センター)でレジデントとなる。2006年に兵庫医科大学病院救急・災害医学教室(救命救急センター)で助教となる。2010年に兵庫医科大学病院救命救急センター副センター長に就任する。2014年に兵庫医科大学大学院を修了する。2016年にRobert Wood Johnson Univ,Hospital外傷センターに留学する。2018年に近畿大学医学部附属病院救命救急センターに講師として着任し、熱傷センターを設立する。2020年に鳥取大学医学部附属病院救命救急センターに教授として着任する。2021年に鳥取大学大学院医学系研究科救急災害医学教授を兼任する。2022年に鳥取大学医学部附属病院高度救命救急センター教授に就任する。日本救急医学会救急科専門医・指導医、日本熱傷学会熱傷専門医、インフェクションコントロールドクター、日本DMAT隊員など。


上田 敬博 教授 インタビュー
  1. 至高のネットワークで洗練された
    チーム医療を
  2. 05. 鳥取大学医学部附属病院高度救命
    救急センターの教授に
  3. 04. 留学する
  4. 03. 大学院で学ぶ
  5. 02. 救急医療に出会う
  6. 01. 医師を目指す

 

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