内藤証券中国部のキーマンが見た「中国株の底流」

このページをシェアする:

2007年2月27日、上海総合指数の大幅な株安を発端に起きた世界同時株安。その1年半後、今後は同じ上海総合指数が発端の世界同時株高が起きた。“ちっぽけな存在”と思われていた中国株が、わずか十数年で世界を揺るがす存在となってしまったのだ。
そもそも中国株とその市場は、成り立ちからして特異。現在でも世界に類のない極めて特殊な株式と証券市場だ。その底流は長い年月と様々な出来事を経て形成された。そこで、中国株とその市場の誕生から振り返り、どのようにして今日のような姿になったのかを見ていこう。そこにある様々な物語を見れば、中国株とその市場だけではなく、その背後にある中国の人々と国家の本当の姿が浮かんでくるだろう。

最新号(毎月5日更新)

赤レンガから生まれた中国株

1978年に鄧小平が最高指導者となり、「イデオロギーの束縛から自由になれ!頭を働かせろ!何が正しいのかは、事実から導き出せ!」と号令をかけた。だが、一言で10億人の心が瞬間的に変わるはずもない。株式について語ることは、まだまだ危険な行為だった。
人々の心はなかなか変化しないが、現実は大きく動き出した。プロレタリア文化大革命(文革)が終結し、農村での労働に従事させられていた青年たちが、都市に帰り始めたのだ。その数は1979年で約1,700万人。このほか...[ 続きを読む ]

続きをお読みいただくには、Doctor’s Gateへの登録が必要です。
当サイトは、医学生・研修医・医師限定の総合情報サイトです。

  • ログインする
  • 今すぐ新規登録する

バックナンバー

2017.3.5

第2回 赤レンガから生まれた中国株

1978年に鄧小平が最高指導者となり、「イデオロギーの束縛から自由になれ!頭を働かせろ!何が正しいのかは、事実から導き出せ!」と号令をかけた。だが、一言で10億人の心が瞬間的に変わるはずもない。株式について語ることは、まだまだ危険な行為だった...[ 続きを読む ]

2017.2.5

第1回 中国株の誕生前夜

上海市と広東省深圳市に証券取引所が開業したのは1990年12月。では、中国株の歴史はここから始まったのだろうか?答えはノーだ。中国株は証券取引所の開業以前から存在していた。では、中国株はいつ誕生したのか? そもそもの発端は1978年に遡る。この年の中国社会はどんな状態だったのか? それは...[ 続きを読む ]

2017.2.5

第0回 はじめに~世界の金融市場の“特異点”に光を当てる

「中国株」という日本語の言葉は、1990年代に誕生した。そのころの中国株は、一部の投資家が知っている程度の“ちっぽけな存在”でしかなかった。1989年の天安門事件から日も浅く、中国株という言葉にリスキーな印象を受けた人もいただろう。中国経済は1990年代から高成長が続き、それを伝えるニュースも増え...[ 続きを読む ]

著者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券中国部 情報統括課長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。


バックナンバー
  1. 内藤証券中国部のキーマンが
    見た「中国株の底流」
  2. 02.赤レンガから生まれた中国株
  3. 01.中国株の誕生前夜
  4. 00.はじめに