内藤証券中国部のキーマンが見た「中国株の底流」

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2007年2月27日、上海総合指数の大幅な株安を発端に起きた世界同時株安。その1年半後、今後は同じ上海総合指数が発端の世界同時株高が起きた。“ちっぽけな存在”と思われていた中国株が、わずか十数年で世界を揺るがす存在となってしまったのだ。
そもそも中国株とその市場は、成り立ちからして特異。現在でも世界に類のない極めて特殊な株式と証券市場だ。その底流は長い年月と様々な出来事を経て形成された。そこで、中国株とその市場の誕生から振り返り、どのようにして今日のような姿になったのかを見ていこう。そこにある様々な物語を見れば、中国株とその市場だけではなく、その背後にある中国の人々と国家の本当の姿が浮かんでくるだろう。

最新号(毎月5日更新)

深圳市場を蘇生せよ!

広東省深圳市が株券をめぐり大混乱となった1990年。その年の12月1日に深圳証券取引所は中央政府の許可がないまま、“試験開業”した。だが、その数カ月前から矢継ぎ早に繰り出していた株価抑制策が効果を発揮し、深圳証券取引所の開業直後から長期にわたって株価が下落。1991年4月22日には世界的にも稀な証券市場の出来高ゼロを記録した。...[ 続きを読む ]

バックナンバー

2018.4.5

第15回 上海証券取引所のドタバタ開業

上海市長だった朱鎔基は1990年内に上海証券取引所が開業すると、世界に向けて宣言した。そうは言うものの、開業に向けた準備はまったく進んでいない。残された時間は約半年という瀬戸際で、35歳の尉文淵が創設準備オフィスの責任者となった。
尉さんも前任者と同じく証券取引所に関する知識はほとんどなかった。だが、考えてばかりでは、時間が過ぎ去るだけで、何もできない。そこで、一番簡単に思いつくことから手をつけた...[ 続きを読む ]

2018.3.5

第14回 半年で取引所を開業せよ!

1989年6月4日に起きた天安門事件は、武力鎮圧の様子が各国メディアによってテレビ報道され、中国に対する評価は地に堕ちた。西側先進国は中国を非難し、経済制裁を実施。鄧小平の主導で始まった改革開放路線は、この事件を機に大きく後退するという見方が世界中に広がった...[ 続きを読む ]

2018.2.5

第13回 2度も開業した深セン証券取引所

全日本空輸の二代目社長だった岡崎嘉平太と中日友好協会の初代会長だった廖承志という日中両国の大物が、禹国剛という人材を生み出した。その禹さんは岡崎氏の念願だった日本留学を終え、深圳証券取引所の創設に向けた...[ 続きを読む ]

2018.1.5

第12回 2人の大物と日本帰りの男

1990年に広東省深圳市で起きた株券をめぐる混乱を受け、中央政府では市場を閉鎖すべきという論調が強まっていたが、中国人民銀行(中央銀行)の劉鴻儒・副総裁が江沢民・総書記に熱弁をふるい、かろうじて株式制の存続を許された...[ 続きを読む ]

2017.12.5

第11回 株券狂想曲と中国株の存続危機

最初は株券売買に冷淡だった深圳市民だが、それが信じられないくらいに儲かることが分かると、打って変わって熱狂した。その情報は全国に伝わり、1990年に入ると大混乱を引き起こした。そのころの深圳市の株式市場は...[ 続きを読む ]

2017.11.5

第10回 経済特区の株券

かつての深圳経済特区は、広東省深圳市を横断する全長84.6キロメートルの金網フェンス(第二ボーダー)の南から、英領香港との境界線(第一ボーダー)までの封鎖された区域だった。第二ボーダーの検問所を通過して経済特区に入ると、そこは外国資本を...[ 続きを読む ]

2017.10.5

第9回 “百万元”と呼ばれた男

「あいつが盗んだんじゃあないのか?」「きっと、あいつだろう!」こんな言葉を同僚たちから耳にし、合金工場の倉庫番を務めていた楊懐定さんは、自尊心を深く傷つけられた。1988年の旧正月前に起きた窃盗事件。1トンあまりの銅地金が...[ 続きを読む ]

2017.9.5

第8回 鄧小平からの贈り物

世界一小さな取引所と呼ばれた静安証券営業部が開業してから1カ月ほどが過ぎた1986年11月10日、ニューヨーク証券取引所のジョン・フェラン理事長をはじめとする米国の金融関係者一行が、北京市を訪問...[ 続きを読む ]

2017.8.5

第7回 世界一小さな取引所

瀋陽証券交易市場の開業から1カ月あまりが過ぎた1986年9月26日、上海市の中心部にある仏教寺院「静安寺」の近くに、株券の店頭市場がオープンした...[ 続きを読む ]

2017.7.5

第6回 こっそりと開いた証券市場

株券発行の口火を切ったのは遼寧省撫順市。1980年の赤レンガ株券が、股票(株券)と名のつくものの第一号だった。証券市場の第一号も遼寧省で生まれた。撫順市に隣接した省都の瀋陽市。そこに...[ 続きを読む ]

2017.6.5

第5回 目覚めた上海の投資家

中華人民共和国の建国35周年を控えた1984年、かつての金融の街だった上海市は、すっかり社会主義国家の都市に変貌。人々は株式とは無縁の生活を送っていた。さまざまな悲劇を生んだプロレタリア文化大革命(文革)が終結してから数年が経ったが、その傷跡は...[ 続きを読む ]

2017.5.5

第4回 魔都の証券市場

中国の金融の中心地として知られる上海。それはウエスタン・インパクト(西洋の衝撃)によって誕生した。1840年に勃発したアヘン戦争で英国が勝利。1842年に交わされた南京条約によって、長江の河口に位置する小さな街の開港が決まった。それが...[ 続きを読む ]

2017.4.5

第3回 中国各地の暗闘者

1980年1月1日に遼寧省撫順市で発行された赤レンガ株券を口火に、株券を発行する動きが中国の各地に広がった。「株券発行や株式制度は、合法なのか、それとも違法なのか?」――。中央政府は答えを出していない...[ 続きを読む ]

2017.3.5

第2回 赤レンガから生まれた中国株

1978年に鄧小平が最高指導者となり、「イデオロギーの束縛から自由になれ!頭を働かせろ!何が正しいのかは、事実から導き出せ!」と号令をかけた。だが、一言で10億人の心が瞬間的に変わるはずもない。株式について語ることは、まだまだ危険な行為だった...[ 続きを読む ]

2017.2.5

第1回 中国株の誕生前夜

上海市と広東省深圳市に証券取引所が開業したのは1990年12月。では、中国株の歴史はここから始まったのだろうか?答えはノーだ。中国株は証券取引所の開業以前から存在していた。では、中国株はいつ誕生したのか? そもそもの発端は1978年に遡る。この年の中国社会はどんな状態だったのか? それは...[ 続きを読む ]

2017.2.5

第0回 はじめに~世界の金融市場の“特異点”に光を当てる

「中国株」という日本語の言葉は、1990年代に誕生した。そのころの中国株は、一部の投資家が知っている程度の“ちっぽけな存在”でしかなかった。1989年の天安門事件から日も浅く、中国株という言葉にリスキーな印象を受けた人もいただろう。中国経済は1990年代から高成長が続き、それを伝えるニュースも増え...[ 続きを読む ]

著者プロフィール

千原 靖弘 近影千原 靖弘(ちはら やすひろ)

内藤証券中国部 情報統括次長

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい。