自分の物語を変えることで人生は変わる(16:25)

ロリ・ゴットリーブ(Lori Gottlieb)
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対訳テキスト
講演内容の日本語対訳テキストです。
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私が最近受信箱に見つけた メールについて まずお話ししましょう 私の受信箱は なかなか変わっています 私はセラピストで 「親愛なるセラピストさんへ」という 相談コラムを書いているからです どんなメールが来るか 想像できますよね 私は世界中の 見知らぬ人から寄せられる 極めて立ち入った内容の手紙を 何千と読んできました 失恋や死別の話もあれば 親や兄弟との いさかいの話もあります 私はそれを「生きることの問題」という フォルダに入れています 私はたくさんのメールを 受け取りますが 私の世界を知ってもらうため そんなメールの1つを お読みしましょう こんな内容です

「親愛なるセラピストさんへ 私は結婚して10年になり 2年前までは順調でした その頃から夫が あまりセックスしたがらなくなり 最近ではほとんど しなくなりました」 こんな話だとは 思ってなかったでしょう

(笑)

「昨夜 知ったんですが この数か月というもの 夫は真夜中に会社の女性と 長電話をしていたんです ネットで調べたら すごく綺麗な人でした こんなことになるなんて― まだ小さい頃 父が同僚の女性と関係を持ち 家族がバラバラになる 経験をしたんです 言うまでもなく 本当にショックです 結婚生活を続けても 夫を二度と信用は できないでしょう でも子供達に 親の離婚や継母なんかを 経験させたくはありません どうしたらいいのでしょう?」

皆さんは どうしたらいいと 思いますか? こんな手紙を見たら 浮気されるつらさを 気の毒に感じ 子供時代に起きた 父親の問題のために 余計つらかろうと 思うかもしれません 私と同じように この女性に共感し 彼女の夫に対し なんというか あんまり良くない印象を 持つことでしょう

受信箱のメールを 読んでいると 私もそういう 気持ちになります でも こういうメールへの返信では よく考える必要があります 私が受け取るメールはどれも 一個の著者によって書かれた 物語に過ぎないことを知っているからです その物語には別のバージョンも 存在するのです 常に存在します そう分かるのも セラピストとして学んだことが 何かあるとしたら それは誰もが自分の人生の 信用できない語り手だということだからです 私はそうだし 皆さんもそう 皆さんが知る人の 誰もがそうなんです これは言うべきでは なかったのかも 私の話を皆さんもう 信じないでしょうから

意図的に嘘をついている というのではありません 人々の語ることの多くは 正真正銘の真実です— その人の その時の 視点からするなら 何を強調し 何を軽く見るか 何を含め 何を除外するか 何を見て 何を見せようとするかによって 話は偏ったものになるのです 心理学者のジェローム・ブルーナーは このことを見事に言い表しています 「話をするとき 何らかの道徳的立場を 取ることは避けられない」 私達はみんな 自分の人生の 物語とともに生きています 選択の理由 物事が悪化した理由 自分が誰かを そんな風に扱った理由— もちろん当然の報いです 誰かが自分を そんな風に扱った理由— もちろんそれは 不当なんですけど 物語というのは私達が人生を 理解する方法なのです

でも私達の語る物語が 誤解を招くものだったり 不完全だったり 単に間違っていたとしたら? 理解しやすくなるどころか 身動きができなく なってしまいます 私達は 物語は状況によって 形作られるものだと思っています でも私が仕事を通じて 繰り返し見てきたのは それとまったく逆のことです 自分でどう語るかによって 人生は形作られるのです それが物語の危険なところで 本人を不幸にもします でも そこに力もあって 自分の物語を変えることで 自分の人生を変えることも できるのです 今日は そのやり方を お話ししたいと思います

セラピストだと 言ったのは本当で その点では信用できない語り手では ないわけですが 飛行機に乗っている ときなんかには 誰かに仕事を聞かれると 編集者だと答えています セラピストだと 言おうものなら 妙な反応が 返ってくるからです 「まあ セラピスト? じゃあ 私 精神分析されちゃうんですか?」 心の中で思います 「(a)しませんって (b)何でこんなとこで? 産婦人科医だと答えたら これから内診されちゃうのかと 聞いてくるわけ?」

(笑)

でも私が編集者だと 言っているのは 本当のことだからでもあります セラピストの仕事は 人の編集を手助けすることです 「親愛なるセラピストさんへ」での 役割が面白いのは 一人のために 編集しているのではないことで 毎週一通の手紙を例に 読者のみんなに編集の仕方を 教えようとしています そこでは いろんなことを考えます 「ここで無関係なことは何か?」 「主人公は前進しているのか ぐるぐる回っているだけなのか」 「脇役の人は重要か それとも邪魔になっているか」 「この展開は隠れたテーマを 明かしているか?」 すると 多くの人の物語は 2つの主要テーマに 集中していることに気づきます

1つは「自由」で もう1つは「変化」です 私が編集をするときは そこを出発点にします 自由について ちょっと考えてみましょう 自由についての物語は こんな感じに進みます 私達は一般に 自分は大きな自由を手にしている と思っているが 目下の問題のこととなると 急に自由などまったく ないように感じられる 私達の物語の多くは 囚われた感覚についてです 家族や 仕事や 人間関係や 過去のしがらみのせいで 囚われているように 感じるのです 時に自虐的な物語で自らを 閉じ込めていることもあります そういう話を皆さん ご存知でしょう ソーシャルメディアによる 「みんな自分よりいい人生だ」 という物語があり 「自分はまがい物だ」という物語があり 「自分は愛されない」という物語があり 「自分は何もかもうまくいかない」 という物語があり 「Siriと呼んでも答えてくれないのは 自分を嫌ってるからだ」という物語があります あなたも? 私だけじゃないんだ あの手紙を書いた女性もまた 囚われたように感じています 結婚生活を続けても 二度と夫を信用できないし 離婚すれば子供達が苦しむ

こういう話で実際に 起きていることを よく表している 漫画があります 囚われた人が外へ出ようと 必死に鉄格子を 揺すぶっています でも横は開いていて 鉄格子がありません この人は囚われては いないのです 私達の多くがそうです すっかり囚われているように感じ 感情的な牢獄の中で 身動きできなくなっています 自由になろうと 鉄格子をよく調べないのは 罠があると 知っているからです 自由には責任が伴います 物語の中の役割で 責任を引き受けるためには 変わる必要が出てきます

それが 人々の物語によく見られる もう1つのテーマです こんな感じの物語です 「私は変わりたい」と その人は言うが 本当に意味しているのは 「物語の中の他の人物に 変わってほしい」ということ このジレンマをセラピストは 「女王に“玉”さえあれば王になれた」 と言い表します

(笑)

意味ないですよね なぜ 物語の中心である主人公に 変わってほしいと 思わないのでしょう? 変化というのは ポジティブなものであっても 驚くほど多くの喪失を 伴うからでしょう 慣れ親しんだものの喪失です その慣れ親しんだものが 不快でみじめなものであっても 人物や設定や筋書きから 物語の中で繰り返される会話まで よく知っているものだからです 「あなた洗濯してくれないんだから!」 「この前やっただろ!」 「あら いつよ?」 物語が毎回どう進むか 分かっているのは 妙にほっとするものがあります

新しい章を書くのは 未知の領域に足を踏み入れることです 真っ白なページを 見つめることです 物書きなら誰でも 言うでしょう 真っ白なページほど 怖いものはないと でも知ってほしいのは 自分の物語を いったん編集したら 次の章を書くのは ずっと楽になるということです 私達の文化では「自分自身を知れ」と よく言いますが 自分を知るためには 自分を忘れることも必要なんです 自分にずっと言い聞かせてきた物語を 捨てるということです 自分の人生を生きるために これまで自分に語ってきたのとは 違う物語を生きるために そうやって あの鉄格子の 外に出るんです

夫の浮気に悩む女性の話に 戻りましょう どうしたらいいのか という相談でした 私が仕事場に掲げている 言葉があります “ultracrepidarianism” 「自分の知識や能力の範囲を超えた アドバイスや意見を述べる癖」という意味です いい言葉ですよね いろんな状況で 使うことができ この講演の後も 皆さん使うことでしょう 私は自分に言い聞かせるために 使っています セラピストとして相手がどうしたいのか 整理する手助けはできても 人生の選択を相手に代わって してやることはできないのだと 自分の物語を書けるのは 自分だけであり そのために必要なのは ちょっとした道具だけです

ここで皆さんと一緒に この女性の手紙を編集することで 自分の物語をどうやって 改訂できるか示したいと思います では まず皆さんが 自分に語っているけれど 良い結果になっていない 物語がないか ひとつ考えてみてください それは自分の状況かもしれないし 自分に関わる 誰かのことかもしれないし 自分自身のことかもしれません それから他の登場人物に 目を向けてください その まずい物語を 維持し続けているのに 一役買っているのは 誰でしょう?

たとえばあの手紙の女性が 友達に相談をしたなら たぶん「愚かな同情」とでも 言うべきことをするでしょう 愚かな同情をする人は 相手の物語に合わせ 望んでいた昇進ができなかった友人に 「ほんとすごく不公平よね」などと言います たとえ 前に何度も 同じ事があって それは当人が大した 努力をしておらず オフィス備品をくすねるような 奴だからだとしても

(笑)

男に捨てられたという友人に対し 「ほんと最低な奴だよね」などと言います たとえ友人の恋愛での行動に 少し問題があって ひっきりなしにメッセージを 送り付けたり 相手の引き出しの中を 探ったりするせいで そうなるのだと 知っていようとも 問題は分かっているのです どこのバーに行っても 喧嘩になるのなら たぶんあなたが 原因なのでしょう

(笑)

良い編集者になるためには 賢明な同情を示す必要があります 友達に対してだけでなく 自分に対しても これを専門用語では 「思いやりを持って 真実という爆弾を届ける」と言います 真実という爆弾には 思いやりがあります 物語から除外していたものに 目を向けさせるからです

本当のところ 私達には分かりません この女性の夫が 浮気をしているのかも なぜ2年前に 性生活が変わったのかも 深夜の電話が どのようなものなのかも もしかすると過去の経験から 一方的な裏切りの物語を 書いているのかもしれず おそらく何か 手紙で人には言いたくなかったこと あるいは自分自身でさえ 目を向けたくなかったことがあるのです ロールシャッハテストを受ける 男の話のようなものです ロールシャッハテストは ご存じですよね? 心理学者がこのような インクの染みを見せて 「何に見えますか?」と聞くやつです それで男は答えます 「まったく血には見えませんね」 すると心理学者は言います 「そうですか 何に見えないか もっと教えてください」 書き物では これを視点と言っています 語り手が見ようと しないものは何か?

手紙をもう一通 読みましょう こんな内容です

「親愛なるセラピストさんへ 妻についての相談です 近頃私が何をしても 妻を苛立たせるようで 食べ物を噛む音のような 些細なことでさえそうです 朝食のとき妻が 牛乳を多めに入れて グラノーラが音を立てにくく しているのに気づきました」

(笑)

「2年前に私の父が亡くなってから 妻が私に批判的になった気がします 私は父とすごく仲が良く 小さい頃に父親が出て行った妻には 私のつらさが分かりません 職場の友人で 何か月か前に 父親をなくした人がいて その人は私の悲嘆を 理解してくれました その友人と話すように 妻とも話せればと思いますが 妻はもう私のことが 我慢ならないようなのです どうしたら妻と よりを戻せるのでしょう?」

さて 皆さん たぶん お気づきでしょうが これは前に読んだのと 同じ物語で ただ別の語り手の視点で 語られたものです 妻の物語は 浮気する夫の話で 夫の物語は自分の悲嘆を 理解できない妻の話です ここで注目すべきなのは 2つの物語は大きく異なってはいても いずれも繋がりを求める話だということです 一人称の語りを脱却して 他の人物の視点で 物語を書けたなら 相手にずっと 共感できるようになり 話の筋が開けて 見えるようになります これは編集のプロセスで 最も難しい部分ですが そこから変化は始まるのです

自分の物語を 他の人の視点で書いたなら どうなるでしょう? その広がった視野から 何が見えるでしょう? だから私は落ち込んでいる人に よくこう言うんです 「今のあなたは あなた自身について 話す相手として良くない」と 落ち込むと人は 自分の物語を歪めてしまいます 視野を狭めてしまいます 孤独や 心の痛みや 拒絶を 感じているときも同じです すごく狭いレンズを通して 歪められた物語を作ってしまい レンズがあることに 気付きもしません そして自分についての フェイクニュースを流すのです

皆さんに打ち明ける ことがあります 夫のほうの手紙は 私が書きました グラノーラにするか ピタ・チップスにするかで ずいぶん迷いましたが 長年セラピストの仕事や コラムを通じて見てきた 様々な別バージョンの話を元に 書いたものです 1つの状況に関わる2人が そうとは知らずに 両方とも私に手紙を書き 同じ物語の 2通りのバージョンが 私の受信箱に見つかる そういうことが 本当に起きるんです この女性については 別のバージョンがどんなものか分かりませんが ひとつ言えるのは それを自分で 書かねばならないということ 勇気ある編集によって 彼女はもっと奥行きのあるバージョンを 書くことでしょう 彼女の夫が実際に何らかの 浮気をしていたとしても 話の筋が何かを彼女は まだ知る必要はありません 編集を行うということによって どういう筋になりうるか ずっと多くの 可能性が得られるからです

時々 本当にひどい 行き詰まり状態になっていて その行き詰った状態に当人が 入れ込んでいることがあります 「助けを拒絶する不平屋」と 呼んでいます そんな人をきっと ご存じでしょう 何かを勧めても いつも否定します 「うーん それはうまくいかないよ だって…」 「うーん 無理よ そんなことできないもの」 「うーん 友達は欲しいけど 人間って煩わしいじゃない?」

(笑)

そういう人が本当に 拒絶しているのは 行き詰った みじめな自分の物語を 編集することなんです だからそういう人に対しては やり方を変えます 何か違ったことを言うんです 「私達はみんな死ぬんですよ」とか こいつが自分のセラピストでなくて 良かったと お思いでしょう 言われた当人も 皆さんと同じように まったく困惑した様子を見せます でも 自分について いつか必ず 書かれることになる物語がありますよね 追悼文という物語です 自分で自分の不幸を 書くのではなく 生きているうちに この物語を形作ってはと言いたいのです 自分の物語の中で 被害者でなくヒーローになりましょう 心のページ上で展開することを 自分で選び 現実を形作りましょう 人生とは どの物語に耳を傾け どの物語を変えるか決めることなのだと 私は言っています 改訂する努力は する価値があります 自分自身に言い聞かせる 物語以上に 人生のクオリティを 左右するものはないからです 自分の人生の物語 ということであれば ピュリッツァー賞ものにしようと 努めるべきなのです

私達の多くは 助けを拒絶する不平屋ではないし 少なくとも自分でそうだとは 思っていません でも不安や怒りや 弱さを感じるときには そうなってしまいやすいのです だから今度 何か問題を抱えたときには みんな死ぬんだと 思い出してください

(笑)

それから編集道具を 取り出して 自問してください 自分の物語を どんなものにしたいだろうかと そして傑作を書いてください

ありがとうございました

(拍手)

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このプレゼンテーションについて

物語は自分の人生を理解する助けになるものですが、その物語が不完全だったり、誤解を招くものだったりすると、物事を分かりやすくするどころか身動きできなくしてしまいかねません。この実践的な講演を通して心理セラピストでコラムニストのロリ・ゴットリーブが教えるのは、人は自分に言い聞かせている物語からどうやって自由になれるかということで、そのためには自分の物語の編集者になって別の視点から語ることが鍵になります。

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