どうやって私が脱北し自由を見出したか(10:48)

パク・ヨンミ(Yeonmi Park)
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対訳テキスト
講演内容の日本語対訳テキストです。
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私は1993年に北朝鮮の北部で 生まれました 恵山(ヘサン)という町で 中国との国境に位置しています 私には 愛情深い両親と姉が一人いました 私が10歳にもならない内に 父は密輸に従事するため 強制労働収容所に送られました そうです その 「密輸」によって 父は 木靴、砂糖 、米 後に銅を売っていました 家族を養うためです

2007年 姉と私は 逃亡を決意しました 姉は16歳 そして 私は13歳でした

北朝鮮で「逃亡」という言葉が 何を意味するのか 皆さんに 理解していただく 必要があります 私達は皆 飢えていました 北朝鮮では 空腹は死を意味します だから 私達には逃亡が 唯一の選択肢だったのです 私は 逃亡の概念すら 理解していませんでしたが 夜になると 中国の灯りが見えました あの灯りのある場所まで行けば 1杯のご飯に ありつけるかもしれない と思ったのです

壮大な計画や地図があった という訳ではありません これから 何が起きるのか 全く分かりませんでした 自分の住むアパートが 火事になったとします あなたなら どうしますか? そこにいて 焼け死ぬか それとも 窓から飛び出してみる方に 賭けてみますか? 私達は後者を選びました 「火事」からではなく 「家」から外に飛び出したのです

北朝鮮は 想像を絶するような国です そこに住む事がどんなものかと 人に訊かれても 私には 難し過ぎます 正直にお話しします 皆さんには 想像も出来ません どんな国の言葉を使っても 表現出来ないでしょう そこは全く違う惑星だからです 皆さんが今 火星での生活を 想像出来ないのと同じです

例えば「愛」という言葉には 一つの意味しかありません 親愛なる将軍様への愛です 北朝鮮には ロマンチックな 愛の概念などありません 言葉を知らなければ その概念を 理解出来ないという事です 従って その概念が起こりうると 認識すらしないのです

別の例を挙げてみましょう 北朝鮮にいた頃 将軍様は 私達の考えをも 見通せる全能の神だと 心から 信じていました 北朝鮮では 怖くて 考える事自体 出来ませんでした 将軍様は 私達のために お腹をすかし 私達のために たゆみなく 働いていると教えられ 私の心は 将軍様を思って 悲しみにうちひしがれました 韓国へ逃れた時 皆から 彼は本当は 独裁者なのだと言われました 車や沢山の保養地を所有し 超豪勢な生活をしているのだと 聞かされたのです その後 彼の写真を見た時に 彼が写真に写った中で 一番大きな男だと 初めて気づいたのを 今でも覚えています

(笑)

私にはショックでした ようやく 彼が飢えてなど いなかった事に気づきました しかし 誰かが彼は太っていると 教えてくれるまで 私には それが全く 見えていませんでした

(笑)

本当に私は 彼が太っている事を 誰かから教わる必要があったのです 批判的思考を行った経験がないと 見るようにと言われた物だけを ただ見るものなのです

皆が私に訊いてくる 最大の質問はこれです 「なぜ北朝鮮国内で 革命が起きないのか? 国民は馬鹿なのか? なぜこの70年もの圧政に対する 革命が 皆無なのか?」 私はこう答えます 自分が奴隷だと分からず 孤立している事も 抑圧されている事も分からないなら 自由になるために どうやって闘えるというのか?と つまり 自分が孤立していると 分かっているなら それは 孤立していないと いう事なのです 「知らない」ことこそが 真の孤立の定義なのです だから 私は北朝鮮にいた時 自分が孤立しているとは 決して思っていませんでした 自分は 文字通り 世界の中心にいると思っていました

私の広める価値のあるアイディアを 聞いてください 多くの人はこう思っています 人間は生まれつき 物の善悪とは何かや 公平と不公平の違い そして 自分に値するものと そうでないものを知っているのだと 私に言わせれば そんなのは嘘です

(笑)

(拍手)

全てが 全てが 教えられなければ なりません 「思いやり」も含めて― たった今 瀕死の誰かを 道端で見かけたら その人を助けるために 私は何でもするでしょう でも北朝鮮にいた頃は 瀕死の人や死人を 道端で見かけても 何も感じなかったのです 私がサイコパスだからではなく 思いやりの概念を学んだ事が なかったからです 私は「思いやり」という言葉と その概念を学んでから 心の中で思いやりや共感 同情という感情が生まれ 今はそれを実感しています

現在 私は自由な人間として アメリカで暮らしています

(拍手)

ありがとうございます

(拍手)

そして最近 我が自由の国の指導者 トランプ大統領が 私がかつて崇めていた神と 会いました そして彼は人権を協議事項に 含める重要性はないとして その事については 話をしませんでした それを知り 私は怖くなりました 私達はたった今 一人の独裁者が 叔父を死刑にし 腹違いの兄を殺し 数多くの北朝鮮の人々を殺す事を 称えられうる世界に生きています それが称賛に価したのです そこで 私は考えました おそらく今 私達は皆 自由について 新たに教わる必要があります

自由とは 壊れやすいものなのです 不安を煽りたくはありませんが それは真実です 北朝鮮では たった3世代の間に ジョージ・オーウェルの『1984』を 現実のものにしてしまったのです たった3世代しか かからなかったのです もし私達が 自由な国民として 今まさに抑圧され声を持たない人々の 人権のために闘わないなら 私達がこの自由を失った時に 誰が闘ってくれるのでしょう? 機械? 動物? 私には分かりません

私達が気候変動、動物の権利 ジェンダー平等といった 全ての事柄を気にかけるのは 素晴らしい事だと思います 私達が動物の権利について 気にかけるという事実は 私達の心が とても美しい という事であり 自分では話す事の出来ない誰かを 大切にしているという事です 北朝鮮の人達は今 自分から 話す事が出来ません 21世紀になっても インターネットは使えないのです 電気もありませんし そこは現在 地球上で 最も暗い場所なのです

さてその暗闇に住んでいる 北朝鮮の仲間に向けて 伝えたい事があります 皆 信じてくれないかもしれませんが 私は 彼らにこう言いたい 新たな生活は可能なのだと 自由になろう

自分の経験から 文字通り 全ての事は可能なのです 私は身を買われ 奴隷として売られました しかし 私は今ここにいます だからこそ 奇跡を信じているのです

私が歴史から学んだの一つの事は この世界に 永遠のものなど 何一つないという事です だから 私達には希望を持つ 十分な理由があるのです

ありがとうございました

(拍手)

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このプレゼンテーションについて

「北朝鮮は想像を絶するような国です」人権活動家のパク・ヨンミは、そう言います。彼女は10歳で祖国を逃れました。自らの子供時代の痛ましい話をしながら、彼女は自由の脆さについて考え、世界で最も暗黒な場所に於いてでさえ、どうすれば変化が達成され得るのかを示します。

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