報道写真家が物語の一部になった時(11:51)

ジャイルズ・ドゥーリー(Giles Duley)
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対訳テキスト
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おはようございます TED登壇の声がかかった時 Google検索して 少しリサーチしました 登壇者の感想を探したわけです 最初に読んだ体験談の1つが アメリカ在住の人のもので 壇上に出るまでは 平常心だったそうですが タイマーの数字が 減っていくのが目に入って

(笑)

そのくだりで 爆弾を連想したとのこと 「それだけは勘弁してくれ」 と思いました

(笑)

(拍手)

それはともかく 登壇できて光栄です 妙な取り合わせですけどね 新聞編集者が 講演イベントの トップバッターに写真家を選ぶとは

(笑)

写真家の売りは言葉ではないし 私は過去40年間 喋らないで済むよう カメラの後ろに隠れていたのですから まあ こうして登壇したわけなので 物語についてお話します 私にとって いや 全ての人にとっての 物語の重要性についてです 皆さん今日は たくさんのお話を 聴くことになるはずですが 他人の話を聴くと 世界や 他の人々について 知識が増え 理解が深まるものです では 写真家として記録した 3つの物語についてと それらに どう影響されたのか そして 人生の中で私自身が いかにして 自ら記録する物語の一部と化したのか お話しします

ご紹介のとおり 私は元々 ファッション・音楽業界で 写真の仕事を10年していました それはそれで楽しかったのですが それ以上の何かをしたい という気持ちが常にあって 物語を伝える仕事をしたいとも 常々思っていました そこで 10年前 世界を回る旅に出ました 目的は それぞれの境遇の中で 生きる人々を撮影し その人の物語を記録し 持ち帰ること 写真を見た人が 理解できるようにと これは 一朝一夕に できたことではありません ファッションと音楽関係の 写真家だった時 「何かが欠けている」 「自分のスキルを活かせていない」 そんな気持ちに 常に苛まれていました 今となれば それが何だったかは明白ですが 当時は 自分の撮影スキルを 何かに役立てる方法はないか 考えあぐねていました そこで 写真をやめたんです スッパリ諦めて 介護職に就くことにしました

介護職員になった私は ニックという若者の世話を始めました ニックは自閉症持ちです しかも重度の でも 何年も世話をしているうちに とても仲良くなりました つきっきりでケアして 一緒に出かけたりもします 水泳に散歩など あらゆる種類の活動をします ニックのことを 知っていくうちに 段々と 彼の物語が語られていないことに 気付きました ニックには自傷癖があり 自分で自分の顔を殴ったりするのですが その様子が誰かの目に 触れることはありませんでした これがニックです 自分の人生をパーティーの最中 地下室で過ごすことに喩えていました 歓談の様子は キッチンから聞こえるが 自分は地下室に閉じ込められ 独り狭い世界にいるような気持ち 混じりたいのに 階段を上がっていけない そんな気持ちだと そこで ニックの生活を 写真に収めて 記録し始めました 特に何の目的もなしに ただ写真を撮りました 単に記録の手段としてです

始めてみると 写真を使って誰かの物語を語れる ということに気が付きました ニックは自傷癖があると言いましたね 自分で自分の顔を殴るんですが それが誰の目にも触れないのです 私との間に生まれた 友情らしきものが深まるにつれ とうとう 自傷しているところを その場で 撮影させて もらえるようになりました そこには信頼がありました 社会保障制度から 大した支援は得られず 事態の深刻さも まともに受け止めてもらえませんでした

ある日 ひどい自傷行為の最中に 写真を撮りました それを事務局に持っていくと 途端に対応が180度変わり たくさんの支援を 取り付けてくれました 嬉しいことに 8年経った今— 実際 ニックとは昨晩も話してます— 今は以前よりも だいぶ気持ちが明るくなり 自傷行為は もうしていないそうです そこに至るまでの過程に 私の撮った写真が 何かしらの形で 貢献していたなら本望です この出来事がきっかけになり 写真を使って語る物語を 探し歩くようになりました

その1つは クトゥパロンで見つけました ビルマとバングラデッシュの 国境にあります そこにはロヒンギャ族の 難民たちが取り残され 困窮するがまま放置されて 20年以上になります これが その 非公認難民キャンプの写真です 上方に見えるのが 国連公認の難民キャンプで その他の小屋は全部 非公認です 汚物がそのまま村の中を 流れているという有り様です 住民は 世の中から 忘れ去られており これは現地に行って 取材せねばと思いました 村の長老と話をつけ 翌日から 村人に来てもらい 一人残らず写真に収めて 全員の物語を 記録することなりました それからというもの 朝 現場入りして 大きな白い布を設置し 難民たちの撮影を始めました

ところが 急に 手のつけられない状況になりました 夜明け前だというのに 小さな仮設撮影所は 人で溢れていました 体の悪い 病気を抱えた人々が それこそ何百人と集まってきて どうにもこうにも お手上げ状態でした まさに難民たちの境遇そのもの— なすすべがないのです 腫瘍に侵され 誰の助けも得られず 呼吸に支障が出てきている子供など 難民たちが すがるように 押し寄せて来るので 私は慌てて 長老に説明しようとしました 自分は医者ではないから 救ってあげられないと すると長老に言われました 「いや 大事なことだ 皆 あなたが医者じゃないことは分かってる でも 少なくともこれで 自分たちの物語が世に伝わり 実情を記録してもらえると 理解しているんだ」 そう聞いて心が晴れました あちこち出向いて こういうことをするのにも 意義があるかもしれないと 悟った瞬間でした

私が感化された もう1つの出来事は ウクライナのオデッサで起きました 浮浪児の一団を 取材していたのですが 少年たちが不法占拠する建物に 寝泊まりする羽目になるという なかなか貴重な体験をしました 深夜まで呑んだくれて 暴れる少年たちを目の前に 私は部屋の片隅で バッグを抱えて座り 「まずいことになったぞ」と

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ファッション業界を やめなきゃよかったと思う瞬間です

でも 根はいい子たちで 滞在最終日には 海に連れて行ってくれました お別れに みんなで 遠出したわけです ウォッカを飲む少年たちです そんな中 サージという 最年長で一番乱暴な子が寄ってきて— 誰かを刺した罪で服役して 出所したばかりでした— がしっと肩に腕を回され 「泳ぎに行くぞ」と 実のところ 私が持っていた ウクライナのガイドブックに 旅の注意点が載っていたんですが その中にこうありました 「浮浪児と話さないこと 持ち物からは 片時も目を離さないこと そして 何があっても 海で泳がないこと」

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なので「泳ぐのは遠慮したいんだが」 と思いつつも サージに肩をしっかり捕まれ 嫌とは言えない状況です

(笑)

カメラも全部 機材も全部 浮浪少年たちに差し出し 持って行かれました 可笑しいことに 後ろの方に写っている— 海に入らなかった子たちは 「泳ぐなんて物好きだな」 とでも言いたげです

そんな中 リリックという少年が カメラを預かっていたんですが 写真を撮り始めました カメラを手に 目を輝かせていました この子のためにカメラを調達して 戻って来よう そして写真を教えようという話を 何度もしました 物を見る目がある子でした これがリリックです 旅立つ前の晩に 撮った写真です その夜は 荷物をまとめるため 外出していました 朝になって戻ると リリックは死んでいました 大量の薬とウォッカを摂取して 夜中 昏睡状態になり そのまま意識が戻らなかったのです この出来事で改めて 人々の生き様を記録せねばと 痛感しました こういった人々の命には重みがあり それを記録することが 重要なのだと

そして昨年2月 アフガニスタンを 取材で歩き回っていた時 地雷を踏んでしまいました この写真のどこかに私がいます 私自身が物語の一部になったのです 初めは やはり自分の身に起きたことに ひどく動揺しました もう写真は続けられないと思いました 人生の意義を 見失った気がしました そしてハッとしました コンゴにもアンゴラにも バングラデッシュにも まだ取材に行っていないと そういう国々を訪れる理由は 何かを変えたいからで たまたま写真が その手段だったのですから

そして 自分の体は色々な意味で 戦争が人に何をもたらすのかを示す— 生きた証拠なのだと 意識するようになりました 自分自身の体や実体験でもって 語ることができる そう気付きました また 自分が記録した人々を 思い浮かべたこともきっかけでした ニックと 彼の持つ 逆境に耐える力を想い ロヒンギャ族と その絶望的な境遇を想い リリックと失われた命を想いました 事実 ここで励みになったのは 自分が記録してきた物語でした おかげで この一年を なんとか乗り切り 生き延び 義足で歩けるようになり この場に来て 誰かの物語だけでなく 自分の物語も 伝えられるまでになりました

私はセルフポートレートを撮り 世の中へのメッセージを込めました 爆弾が人に何をもたらすのか 視覚で訴えたかったのと 手足を失っても人生終わりではないし いわゆる「不自由な体」を持ちながら 自由を妨げられずにいることや その気になれば そして信条を貫けば 何でもできるというケースもあると 証明したかったのです 奇妙なことに 色々な意味で 1年前の自分と 今の自分を比べると 当時はなかったものを たくさん持っていることに気付かされます 事故がなかったら 今ここに座っていないし 皆さんに 写真を見せて 物語を伝えることも できなかったでしょう 私は幸運でした 10年前 自分は世の中を変えるために 何ができるかじっくり考えた時 自分の写真がその道具であり 方法であると悟りました

そこが肝心なんだと思います 私たち誰もが 大きな力の一部― 世界を変える力として 1つの歯車になれるのです 誰でもそうです ここにいる誰もが 何かを使って 世の中に 変化をもたらす力を持っています みんなして テレビの前に座って 「何をしたらいいか分からないし」 と忘れてしまうこともできますが 誰でも何かできることはあるんです 手紙を書くとか 街頭に立って 呼びかけるとか 誰かの物語を記録して 他の誰かに伝えるとか ここにいる私たち一人一人が その気になれば世の中を変えられるし 邪魔するものは何もありません それに 誰もが自分自身の経験を 役に立てられるんです

今日お話したかったことは以上です 何があろうと世界は回り続けるし 悲惨な出来事は起こり続けます 私たち誰もが それぞれ 悲惨な出来事を経験します でも 自らの体験を語り 物語を広めることで それがお互いの励みになり 自分自身の辛い経験を 乗り越えられます 私が今ここにあるのは これまでに 自分が記録してきた人々のおかげです 今日お伝えできた物語が 何かしらの形で 皆さんが何かを乗り越える 手助けになることを願います その代わり 皆さんも自分の経験を 他の人のために役立ててください

ありがとうございました

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このプレゼンテーションについて

ジャイルズ・ドゥーリーは華やかさと栄光溢れるファッション写真家人生を諦め、忘れ去られ隅に追いやられた存在の人々を記録しようと世界を駆け回るようになりました。ところがアフガニスタンでの取材中に、地雷を踏み三肢切断に至るという悲惨な出来事が起こります。この感動的なトークではドゥーリーが、失われた命と、自身を含め、救われた命について物語ります。

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