傷つく心の力(20:19)

ブレネー・ブラウン(Brené Brown)
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対訳テキスト
講演内容の日本語対訳テキストです。
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さて、この話から始めましょう。
2年前、ある企画の担当者が電話してきました。スピーチイベントに出ることになっていたのです。彼女は電話口で言いました。
「今困っているのよ 案内にどうあなたの紹介文を書くかで」
「困るって何が?」
「あなたのスピーチから考えたら、研究者だけど――もし研究者なんて紹介してしまったら、誰も来ないんじゃないかと思って。退屈で縁のない話と思われたらね」
「わかった。それで?」
彼女はこう続けました。「だけど、あなたの魅力は話上手なところなの。だからストーリーテラーと呼ぼうと思うんだけど」
研究者としての私は不安に思い、
「なんですって?」
「ストーリーテラーよ」
「なんで魔法使いの妖精じゃないのよ?」
私は「ちょっと考えさせて」と言って、自分の勇気を呼び出そうとしました。そしてこう思ったのです。私がストーリーテラー? でも、私は定性調査をしていて物語を収集するのが仕事だし、魂のこもったデータを物語と言うのだろうから、やっぱり私はストーリーテラーなんだと。
「じゃあこういうのはどう? 研究者兼ストーリーテラー」
「そんなのありえないわ」と一笑に付されました。ですから私は研究者兼ストーリーテラーです。
今日は、物の見方を拡げることについてお話します。また、研究にまつわるいくつかの話をしたいと思います。研究を通して私の見方は根本から拡がり、生き方、愛し方、仕事、子育てのやり方を変えました。

そもそもの始まりがこれでした。私がまだ若き研究者――博士課程の1年生だったとき、指導教官の教授がみんなにこう言いました。
「つまりだね、測定できないものは存在しないのだ」うまいこと言ってるだけだと疑いましたが、彼は確信に満ちていました。ちなみに私はソーシャルワークで学士号と修士号をとり、そのときは博士号を取得しようとしていました。ですから在学中はずっと、人生は煩雑なものだと信じ、だからこそ素晴らしいと思う人たちに囲まれてきたのです。私はその人たち以上です。人生は煩雑で、それを片付け整理し弁当箱に詰めてしまいます。それが自分の生きる道ですし、天職だと思います。ソーシャルワークの分野でよく言われるのが、仕事の苦しみに身をあずけろというものですが、むしろ私は仕事の苦しみを振り払い、押しのけて全部片付けてきました。私はそういう主義でした。それで、この言葉でわくわくしました。またこう思っていました――これが私の天職なんだ。どうしようもない話に興味があるし、それをどうにかしたいし、理解したいんだと。こういった大事なことについて、どうにかして誰もがわかるように整理したかったのです。

それで“関係性”から研究を着手しました。10年間ソーシャルワーカーの仕事をしてみると、関係性が生きることの理由だと気付くのです。関係性が、生の目的や意味を与えてくれるのです。関係性とはそういうものです。社会正義・メンタルヘルス・虐待や育児怠慢に関わる人なら誰でも知っていることなのですが、関係性、つまり繋がっていると感じる能力は神経生理学的にも認められた能力で、生きる理由なのです。そこで、関係性から研究を始めようと考えました。
上司から評価を説明される状況を想像できますね。上司は、あなたの37の功績について話したあとで“成長の余地”について話します。その“成長の余地”が頭からはなれません。私の研究の過程でも同じことが起こりました。というのも、愛について尋ねると、相手は失恋について語ります。帰属意識について尋ねると、それではなくて、冷たくされたひどい経験について、関係性について尋ねると、語られるのは関係性がうまくいかない場合の話なのです。

開始して6週間たったところで、この何と呼んでよいかわからない状況に気付き、それまで理解も経験もしたことのない方法で関係性が完全に解明できたのです。研究からいったん後退し、これが何かをはっきりさせる必要があると考えました。結局、それは“恥”であるとわかりました。恥というのは関係性喪失への怯えとして容易に理解することができます。私も、自分が関係を持つに値しないと思われることを想像すると、自分の中にも見いだせるものです。つまり、普遍的で誰もがもっているのです。逆に、恥を経験しない人がつながりや共感を持ちえるはずがありません。恥について語りたい人はいませんが、話さないと余計に大きいものとなります。この恥という感情、つまり、自分は十分じゃないと思う、誰もが知る感情のことですが、具体的には、完璧じゃない、スリムじゃない、金持ちじゃない、美しくない、偉くない…とかそんなことです。
こうした気持ちを芽生えさせるのは、耐えがたいような心のもろさです。なぜなら、関係性を持つには、私たちは自分自身をさらけ出さなければなりません。

心のもろさについて私の考えはこうです。私はそれが嫌でしたから、自分の心のもろさを物差しで叩きなおすよいチャンスだと思いました。私はこれを理解してやる、1年をかけて徹底的に解体してやる、どう働くのかを理解してやる、そしていつかその裏をかいてやる――準備万端でしたし、本当に夢中でした。でも察しのとおり、うまくはいきませんでした。わかりますね。恥についてはもっとお話ししたいのですが、時間が足りません。けれども、結果的にこの発見はこの10年ほどの研究のなかで学んだ一番重要なことです。1年のはずが6年となり、何千もの話があり、長いインタビューやフォーカスグループ研究をいくつも行い、ある時は誰かが雑誌の記事や、自身の体験談を送ってきて、それは6年の間に何千ものデータになったのです。それで、理解の糸口を得ることになりました。

また、恥が一体何であるか、どう作用するのかも理解したと言えます。私は本を書きました。理論を公表しました。しかし、何かが不十分だったのです。それが何かというと、適当に私がインタビューする人を選び、ある人たちを自己価値感を持っている人と区別すると、前者に欠けていたものとは、自分に価値があるという感覚でした。愛情とか帰属の感覚を持つ人がいる一方で、それに苦しんだり、自分はこれでいいんだろうか、と悩んだりする人がいます。強く愛されているという感覚を持つ人と、愛や関係性に苦しむ人とは、あるひとつの点で違っていました。それはこういうことです。深い愛情や関係性を感じている人は、自分が愛されるに値すると信じているのです。それが違いなのです。自分には価値があると信じているのです。人が、関係性が断たれた状況にいることに耐えられないのは、自分が関係性を持つのに値しないという恐れです。ですから、個人的にも仕事上でもこのことを理解する必要があると思いました。それで、自己価値感が見られる人や、それに従って生きている人へのインタビューを選び出し、これらをじっくりと眺めました。

共通してみられることは何だろう? 私はちょっとした文房具中毒で――でもそれはまた別の機会に話します――マニラフォルダーとサインペンを手に、この研究をなんと呼べばいいのか考えました。そして、ある言葉がふと浮かんだのです。それは“あるがまま”です。
つまり、自己価値感をもって生きている人たちなのです。それでマニラフォルダーのはじめにこう書き、データを見始めたのです。それが、私が最初にしたことです。4日で集中的なデータ分析をし、過去のインタビューや体験談、出来事などを振り返りました。何がテーマなんだろう? パターンは何だろう? 主人は子どもたちを連れて家出しました。というのも、私は執筆中は研究者モードで、ジャクソン・ポロックばりの仕事ぶりですから。そこで発見したことをお話すると、その人たちが共通して持っていたのは勇気でした。ここでは勇気と勇敢は別なものとして考えます。
勇気――そもそもはラテン語で心を表わす“cor”という言葉が英語に入ってきたものです。また、もともとの定義は「自身のことをあるがままに話す」ということです。こうした人々は、不完全であってもよいとする勇気こそを持っていたのです。また、自分に対して思いやりがあって、他者への思いやりを持っています。人は、自分自身に優しくなれないなら他者にも思いやりを持てませんから、また、この人たちは関係性を持っていました。ここからが難しいところなのですが、自分への忠実さの結果、自分のあるがままを受け入れるために、あるべき姿についてはあきらめていました。それは、関係性を得るためには絶対に必要なことなのです。

その他の共通項はこういうことでした。
心のもろさを受け入れていたのです。
その人たちはこう信じます。自分たちの心をもろくするものこそ自分たちを美しくする、と。
心のもろさが快適であるとも、それが自分たちを苦しめているとも言いません。恥のインタビューの時に聞いたような発言はありませんでした。必要なことなのだと語ります。愛していると告白するための思い切りや、うまくいく保証がなくても何かをするという熱意について、また、マンモグラフィーの検査の後、医師からの告知に備えながらなんとか生きる意志について語ります。それがうまく行こうと行くまいと、関係性に身を費やしたいのです。ただ、それが不可欠なことだと考えているのです。

私にとって、これは裏切られる結果でした。自分自身がかつて研究をすることに忠誠を誓ったなんてもう信じられませんでした。研究とは、制御したり予測すること。また、現象について詳しく調べることです。制御や予測という明確な目的があってなされるものです。けれども制御や予測という、使命に従った結果表れた答えは、心のもろさを受け入れた生き方であり、制御と予測を放棄せよというのです。これはちょっとした挫折となりました。こんな風に、実際よりも大きい挫折に見えたのです。私は挫折と捉えましたが、私のセラピストはそれは開眼だと捉えました。開眼は挫折より響きがよいものですが、やはりそれは私には挫折でした。研究を止め、セラピストを探すことにしました。
余談ですが、こういう状況がわかりますよね。友達に電話して「相談相手が必要なんだけど、誰かいい相手はいないかしら?」と言う状況です。
私の場合は5人の友達がこう言ったのです。
「えー?私だったらあなたのセラピストにはちょっと…」
「それってどういうことよ?」
「今言った通りよ。わかるでしょ? ものさしを持って乗り込んでこないでね」
「はいはい」

それで、あるセラピストを見つけたのです。セラピストのダイアナと初対面のとき、あるがままの人たちのリストを渡して座りました。
彼女がまず「どうですか?」「大丈夫です 元気です」「どうかしたんですか?」彼女はセラピスト専門のセラピストなのです。私たちにもセラピストが必要なのです。彼らの嘘発見器は高性能ですから。
それで言いました。
「手短に言うと私は苦しんでいます」
「その苦しみは何ですか?」
「心のもろさについての課題を抱えていて、心のもろさが恥や恐れ、自己価値感についての苦しみの中核だということはわかっているんですが、それはどうも、喜びや創造、帰属や愛情とかそういったものの根源でもあるようなのです。それが私の問題で、援助が必要なんです」と答えました そしてこう続けました。
「でも、家庭の問題や幼少時代のことは関係ありませんから」「ただ攻略法が必要なだけなんです」
彼女の反応はこうでした。それで、
「これって大変ですよね?」
「大変とか大変じゃないという問題じゃありません。ただそういうものなのです。これはきっと重症だわ」

そうでもあり、そうでない面もありました。約1年かかりました。心のもろさや優しさが重要なことに気付いた時に、人はどのように受け入れ、そこに踏み込むか わかりますか?
Aさん「私は違う」
Bさん「こんな人とは出かけたくない」
私にとっては1年に渡る戦いでした。激しい戦いでした。心のもろさが私を押し、私はそれを押し返しました。戦いには負けました。それでも人生は取り返しました。

それで研究を再開しました。次の2年を費やし、改めて理解しようと試みたのです。あるがままの人たちの選択や、私たちがどうやって心のもろさとつきあっているかといったことを、なぜ私たちはこんなに苦しむのだろう? 心のもろさに苦しんでいるのは私だけだろうか? ―違います。そう、それが私が学んだことです。例えば、告知を待っているとき、私たちは心のもろさを麻痺させています。面白いことにツイッターとフェイスブック上で「どのように心のもろさを定義しますか? 何が心のもろさを感じさせるのでしょう?」と疑問をなげかけると、1時間半で150の返信を得ました。どういう返信があるか知りたかったのです。
不調で夫に助けを求めなければならず、しかも新婚だったとき、夫をセックスに誘うとき、妻をセックスに誘うとき、落ち込んでいるとき、デートに誘うとき、医者からの連絡をまっているとき、解雇されたとき、解雇を命じるとき、これが私たちの生きる世界なのです。私たちは心のもろさに溢れる世界に生きているのです。また、心のもろさを扱う一つの方法は、その感覚を麻痺させることです。

その証拠に、このことだけが原因ではありませんが、これが大きな原因である事象が存在します。私たちは、アメリカ史上もっとも借金漬けで、太っていて、依存症が多く、薬物治療に頼る集団です。
実は研究から知ったのですが、人間は選択的に感情を麻痺させることができません。というのも「これが悪の元凶」――これが心のもろさ・悲しみ・恥・恐れ・失望、などと特定できないからです。こういう感情を避けたいのでビール何杯かとバナナナッツマフィンを食べることにします。とにかくそういう感情を避けたいのです。自分にも覚えがあるから笑ってるんでしょう。皆さんの生活をハックするのが私の仕事ですからね。でしょ? 感情を麻痺させることなしに、こうしたつらい気持ちを麻痺させられません。選択的には麻痺させられないのです。だから、そうした気持ちを麻痺させるとき、同時に喜びや感謝の意や、幸福も同時に麻痺させてしまうのです。それでは惨めです。生の目的や意味を探しているのに、結局は心のもろさを感じてしまう。それでビールをかっくらってバナナナッツマフィンを頬ばる。それは危険なサイクルになります。

こういうことも考えなければなりません。なぜ、どうやって麻痺させるかということです。何かの中毒にならなくても麻痺します。他にもまた、本来は不確かなものを、全て確かなものにしようとします。宗教はもはや信仰や神秘への信奉から確実性ということへ移行してしまいました。
「私が正しくてあんたが間違っている。だまれ」以上。
確かなものがすべて、恐れれば恐れるほど心はもろくなります。それがまた恐れをよぶのです。これは今日の政治のようです。論議なんてもはや存在しません。対話も存在しませんあるのはただの非難です。研究の中で、非難の捉え方は痛みや不快の解放をする手段です。私たちは完璧を志向します。それを目指すと私みたいになってうまくはいきません。完璧を目指すためにお尻から脂肪をとって、それを頬に移植しているのです。百年後の人たちが振り返ったときにはあきれてしまうことを願います。

そして私たちは、危険なほど子どもたちに完璧を求めています。子どもたちについてお話をします。
子どもは生まれたときから苦しみを背負っています。赤ちゃんを抱いたときにこんなことを言うのは間違いです。
「見て、この子は完璧よ。私はこの子を完璧に5年生までにテニスチームに入れて、7年生までにエール大学へいれるの」
そんなこと言う必要ないんです。ただこう言えばいいのです。
「あなたは完璧じゃないのよ。苦しみを背負っているの。でもあなたは愛情や帰属に値する存在なのよ」
それが私たちがするべきことです。子どもたちがそのようにして育てられるならば、今日の問題を解決できるはずです。
私たちは、自分たちのなすことが人に影響を与えないふりをしています。個々の生活でもそうしています。組織としても行っています。救済であろうと、石油流出であろうと、リコールであろうと、私たちは自分たちの行いが他者に大きな影響を与えていないふりをしているのです。企業に言ったっていいでしょう。完璧でないのは承知ですから。本当のことを語って謝罪します。もう繰り返しませんと言ってください。

あるいは別の方法もあります それで締めくくります。
それは、自分自身を心の底からさらけ出すこと。心のもろさもさらけだすのです。そしてあるがままで愛すことです。
たとえ成功への保証がないとしても、それがとても辛いものだとしても。特に親としては耐えがたいほどに困難なことですが。
そして感謝とよろこびを実践すること。恐怖の瞬間にも、迷いのときにも――それほどまで相手を愛せるだろうか、そんなに熱烈に信じることができるか、このことにそれほどまでに激しくなれるか――と自問するときにでさえ、一大事と騒ぎ立てたりせず、ただ立ち止まってこう言うのです。なんて素晴らしいんだろう、この心のもろさを感じることが生きていることだから、と。
そして最後に、もっとも重要だと考えるのは、自分はよくやっている、と信じることです。なぜなら、自分はよくやっていると言える立場を信じて、そこから働きかけるときには叫ぶのをやめて傾聴し、もっと優しく穏やかに周りに接し、自分自身にも優しく穏やかになれるのです。

以上です。ありがとうございました。

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このプレゼンテーションについて:

ブレネー・ブラウン氏は関係性—私たちが持つ共感・所属・愛情といった生得的能力—について研究しています。
TEDxHoustonにおける感動的で笑いあふれるトークで、自身の研究-人間性理解への興味とともに自分自身を知りたいという探究心へと導いた研究-からの深い洞察について報告します。

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