岩瀬博太郎教授コラム
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第4回

虐待

《 2019.02.01 》
虐待は増えているとお感じになりますか。

 以前からたまに解剖になっていましたが、虐待の解剖が増えているようには感じませんね。

2018年の夏に発覚した東京都目黒区の事件は大きな社会問題になりました。

 虐待自体は昔からありますが、酷いですよね。なぜ人間がそのようなことができるのかと思います。ただ、我々はそれを虐待かどうかと判断するという、非常に難しい仕事をしています。嫌な仕事ではありますが、やらないといけない仕事です。

これが虐待だというガイドラインはあるのですか。

 何が正しいのか分からない世界なので、すごく難しいです。例えば、硬膜下血腫があれば虐待だとおっしゃる方がいれば、それだけでは虐待とは言えないという意見もあります。実際に見てみると、確かに虐待とは考えられない硬膜下血腫の事例が多くあるし、一方で硬膜下血腫はないものの、皮膚の表面の外傷が多発していた事例であったにもかかわらず、家に帰して死亡してしまうこともあります。硬膜下血腫にこだわりすぎるのではないかと思いますし、虐待対応は難しいです。そういう意味では目黒区の事件はいかにもというものでしたし、連携不足も問題になりました。

虐待をする人は「実母」が多いそうですね。

 実母が多いですね。一方で、母親と前の夫との間にできた子どもが、母親が新たに男性と付き合い始めた頃から虐待にあうケースが多い印象を受けます。目黒区の事件はそうした虐待事件の典型例だったように思います。

連携不足というのはどういうことですか。

 児童相談所と警察との連携の悪さもあるでしょうが、児童相談所間でも連携が良くないようです。担当者が2年ぐらいで入れ替わるような話も伺いましたが、そうだとすれば専門性の構築は難しいでしょうね。確かに虐待の対応は精神的にも嫌で、やりたい仕事とは言いにくいですし、誰も専門にやりたいとは思わないでしょう。専門家を養成したいなら、それなりの待遇を用意してあげないといけません。

ご家庭に行かないといけないですしね。

 喧嘩っ早い親と顔を合わせて、「何、言ってんだ、オラァ!」とか言われたら、やりたい人はいなくなるでしょう。

そこで屈強な警察官に同行してほしいですよね。

 かといって、あまり早い段階での警察介入も躊躇すると思います。どのタイミングで警察と連携するかもあらかじめ考えておくべきなのかもしれません。目黒区の事件ではマークしておかないといけない親だったにもかかわらず、多忙だとか、色々なことが重なったようです。この事件を受けて、東京都知事は対応をするとのことでしたので、期待しています。どの都道府県も虐待が増えているのに、児童相談所の職員を増員してこなかったのです。子どもを保護する場所もそんなにあるわけではないので、どの子を優先して保護し、どの子を家に帰すのか、厳しい判断をせざるをえません。目黒区の事件を受けて、保護する数を増やすのか、増やすのであれば設備はあるのかという議論をしなければいけません。気合いだけでは駄目ですし、将来的にどのくらい施設や人材が必要になるのかといったことについてしっかりしたグランドデザインを描くべきだと思います。

東京都は待機児童の問題もなかなか解消されません。

 東京都は金を持っているわりに駄目ですね。冗談ですが、都庁舎とか、築地市場の跡地を全部保育所にするとかできないんですかね(笑)。

千葉県の虐待についてはいかがでしょうか。

 最近は児童相談所との連携を深めつつあり、児童相談所の意見も聞けるようになってきました。最終的には人をどう増やして、予算をかけたうえで保護をどうするかということでしょう。ただ、県庁の職員 が県に物申すというのは難しいでしょうね。法人化する前の我々もそうでした。我々も法人化したから、解剖費用を支払えなどと言えるようになったんです。県議会議員も動いてほしいものです。
 

死因究明法案

議員が動くと、色々なことが変わりますか。

 議員さんがきちんとやってくれるかどうかで、大きく変わりますよ。

死因究明法案も議員が動かれたんですよね。

 細川律夫議員の政策担当秘書の石原憲治さんが2004年に初めて千葉大にお越しになり、細川議員の質問主意書に繋がりました。それから死因究明に関する議員連盟が設立され、2007年に死因究明法案が提出されました。このような大きな動きがあったのは議員さんのお蔭ですね。

今も政治家への働きかけをなさっているのですか。

 していないわけではないですが、なかなかうまくいかないです。虐待にしろ、死因が究明されるのは国民にとってためになるはずなんです。政治家と官僚が忖度し合っていると、問題があっても官僚の言うことを信じてしまうので難しいですね。

CTが入ってからは変わりましたか。

 CTは死因究明の質を改善はしますが、CTのみに頼ると犯罪を見落としているような気がして仕方ないです。日本はCTの使い方がおかしいんです。ほかの国はCTを法医学領域における死因診断のためのツールとして位置づけており、一般の臨床医が死後の死因診断のためにCTを使うことはありませんし、使ってはいけないとする国もあるようです。仮に死因が心筋梗塞やくも膜下出血であっても、死亡までの状況次第では他殺になります。そうした法医学に関する知識のない一般臨床医がCTの結果だけで犯罪性の有無を判断すると、他殺も病死にしてしまうのです。日本は臨床医が死後CTを行うようになったため、CTによって犯罪を見逃しそうになったケースがときどき解剖に持ってこられています。検視官の見立てが良くて、引っかけてくれたものなんですね。

CTが見逃しやすいのはどのようなケースですか。

 千葉県内であったのはプレジャーボート内で男性が亡くなった事件です。警察が死後CTを臨床医の先生に実施してもらったのですが、冠状動脈に石灰化があるので心筋梗塞と診断し、病死にしてしまいました。ところが、検視官の見立てが良くて、もう少し調べろということになりました。そうしたら、その方と一緒にプレジャーボートに乗っていた女性が「途中で頭が痛くなって、外に出ました」と話したんです。「頭が痛い?これは何かあるぞ、一酸化炭素中毒ではないのか」となり、解剖して調べたら一酸化炭素中毒でした。ボートの排気ガスの排管が間違っていたのだそうです。もし死因を病死としていたら、そのままプレジャーボートが転売され、また人が死んでいたことでしょう。

CTは万能ではないのですね。

 ほかにも、顔を殴られたのに、くも膜下出血での病死と同じCT画像が出るがゆえに、それを知らない医師が病死にしたということもあります。これも警察の検視官が鋭くて、私どもに持ってきてくれて分かったんです。CTを使うことで犯罪や事故を見逃し、同じような事件の発生を防げないとすれば、国民の心身の健康を守るはずの医学を実践すべき医師としては本当に情けないです。本物の専門家を養成しないと、犯罪を次々に見逃してしまいますよ。

犯罪を見逃さないことは次の犯罪を食い止めることに繋がるんですね。

 法医学者は死後画像検査を以前から必要だと認識しています。だからCTを入れたわけですが、一部に法医学者がCTを入れたがらないという誤解や偏見があるようです。Ai(オートプシー・イメージング)という言葉が流行しましたが、そうした法医学に対する誤解や偏見を背景に臨床医が実施すべき死後画像検査として流行したように思います。そもそも海外ではAiという言葉を使わないですしね。今のところはAiなるものは、国民の安全・安心にとって逆方向に動いてしまっているように思います。

死因究明は法医学に関する知識のある方がなさらないと意味がないですね。

 臨床医は基本的に目の前にいる、生きている患者さんに対してケアをするのが仕事であるので、死後に死者を取り巻くほかの方々にどのようなことが起きるのかを気にすることはあまりないでしょう。死因を間違えたら、どういうことが起きるということも想像しにくいでしょうね。臨床医は病院で亡くなった方の死亡診断書を専ら書いていますし、死因の種類の欄では、病死及び自然死に丸印を書けばいいわけで、それが癖になっているように思います。そうした方々がCTを使っても、病死にしてしまうだけの可能性があり、犯罪見逃しの防止にあまり役立つとは思えません。
 

医師法21条

医師法21条の異状死については臨床医の先生方から評判が良くないようです。

 法医学会のガイドラインに対し、警察介入を助長しているという批判がありますが、私は誤解だと思っています。いわゆるお医者さんの世界は狭いですからね。

社会医学がなかなか浸透しないですね。

 物事を俯瞰して見ていない気がします。警察に入られるのが嫌だから異状死届出は駄目だということですが、目先のことしか見ていないんじゃないかと感じます。

大野病院の事件があったからでしょうか。

 警察が入ったがために、そういう事件になったと思っているのかもしれません。しかし、大野病院の事件も異状死届けを出していれば、違った経過をたどった可能性があると思います。過去に外科系学会の異状死に関する声明が出されましたが、医療行為に関連した合併症で亡くなっていれば異状死でないので、警察に届けなくていいということ、医療事故に関しては民事訴訟の過程で調べられるのがふさわしいと書かれていました。大野病院事件はまさに外科学会の声明の通りに手続きがなされたものと見ることができます。警察に届け出は行わず、院内の事故調での処理を優先しました。しかし、院内事故調の中で示談という民事的な手続きの中で医師の過失を認める報告書を作ってしまいました。それを警察官や検事が見たときに、これなら業務上過失致死で有罪にできると早合点したのではないでしょうか。
私は最初から無罪になって当然の筋の悪い刑事裁判だったと思っていましたし、異状死届け出がされて司法解剖がされ、民事手続きとは完全に独立して刑事手続きが進行していれば、逮捕や起訴はなかったんじゃないかなと感じます。外科学会の声明のように民事手続きを優先してしまうと、その結果を元に警察や検察が医師の適切な助言なく立件・起訴のためのストーリー立てをしてしまう可能性が高まり、冤罪の元になることもありえます。結果的に逮捕や裁判のために莫大な時間を取られるなど、医師にとって気の毒な結果になってしまいましたし、患者さん側の遺族の精神的負担も相当なものだったのではないでしょうか。

見方がこんなにも違うのですね。

 社会医学の見方と個人の患者さんを治す臨床医の見方は違うと思います。

医師が不当に逮捕されるなどの続発は防ぎたいですね。

 そうですね。現在は大野病院事件での刑事司法の後遺症もあり、また医療版事故調査制度ができて、鎮静化したように見えますが、いつまで続くのか不安ではあります。本当の意味で続発を防げるようになるには時間がかかると思います。
話は飛びますが、運転免許証と医師免許証はどちらも処分として、刑事裁判、民事裁判、行政処分が存在するなど、よく似た面があります。交通事故の場合、人をはねたら、もし被害者がやくざで、警察に通報していなかったら、あとから多額なお金を請求されるかもしれないということもあって、多くの方が警察にきちんと通報すると思います。逃げれば、より悪質であるとして刑務所に入れられるでしょうが、すぐに通報していれば、略式起訴で罰金となるケースが多く、刑務所に入ることは殆どないでしょう。
医師でも、交通事故で人をはねたらすぐに電話するでしょうが、なぜか医療事故になると通報を躊躇してしまいます。医療事故だって、相手がチンピラみたいな方だと何をされるか分からないし、警察を呼んでおいた方が収まることもあると思います。ましてや、都立広尾病院事件のように、リアルな医療過誤事案について届け出を躊躇すれば、遺族から隠蔽と主張され、刑事司法でも悪質と判断されて結果的に医師が損をすることは今後も起こり得る話です。どのように警察届け出と向き合うのか、逃げずによく考えることが必要だと思います。

警察に通告すると、自分の過失を認めるような気がするからでしょうか。

 色々なことが原因なのでしょうね。普段は殺人などを捜査する目つきの鋭い警察官が病院に来れば嫌でしょうしね。しかし、だからと言って、警察を避けてばかりでは問題は解決しないのではないでしょうか。新しく死因身元調査法が作られ、犯罪捜査目的ではない新たな解剖も始まっていることですし、警察や検察にはより紳士的な対応を求めたうえで、何かあれば恐れずに通報できるような雰囲気づくりと制度作りがされるべきなのではないかと思います。
 

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著者プロフィール

岩瀬博太郎 近影岩瀬 博太郎

千葉大学教授

1967年生まれ。
東京大学医学部卒業。同大法医学教室を経て、2003年より現職。
14年からは千葉大学附属法医学教育研究センターの初代センター長も務める。
同年から東京大学大学院法医学教室の教授も兼務し、同センターとの連携を図る。
年間300体以上の解剖を行う。
日本法医学会理事。


バックナンバー
  1. 岩瀬博太郎教授コラム
  2. 04. 虐待
  3. 03. パロマガス湯沸かし器事件
  4. 02. 千葉大学の教授に就任する
  5. 01. 法医学者を志す

 

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