岩瀬博太郎教授コラム
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第3回

パロマガス湯沸かし器事件

《 2019.01.01 》
パロマガス湯沸かし器事件は警察のあり方が問われたものでした。

 この事件に千葉大学法医学教室は関与していませんが、大きな事件でした。東京都港区に住んでいた若い男性が「心不全」で亡くなって10年経ったのを機に、お母様が死体検案書を見たいと所轄の警察署と東京都監察医務院に連絡したのだそうです。死体検案書には「直接死因:一酸化中毒」とあり、お母様は驚かれたそうです。息子さんが発見されたのは死後3週間が経過したときでしたが、3月上旬の寒さゆえに、腐敗が進んでいても一酸化炭素を検出できたのですね。ところが東京都の制度はその情報を活かせませんでした。都内の死因究明制度では、警察が検視によって犯罪性がないと判断した死体について、監察医が解剖できることとされていますが、それはつまり、警察は監察医に遺体を渡した時点で捜査から手を引いてしまうということにほかなりません。監察医務院で死因が一酸化中毒と分かったのにもかかわらず、遺族に知らせることもありませんでしたし、警察も監察医務院も一酸化炭素の発生源について捜査や調査を行うことはなかったのです。東京は警察と監察医がばらばらで、一人のご遺体ごとに正確に死因を究明するうえで全くチームワークが取れておらず、制度として無責任さを感じます。

このお母様の行動から再捜査が始まりました。

 警察が息子さんの部屋にあったパロマガスの湯沸かし器を押収しました。そうしたら、実はパロマガス湯沸かし器による事故はこの息子さんだけではなく、1985年から20年に渡って起き、20人ほどが亡くなっていたことが分かりました。ただし、ご遺族の要望があったにもかかわらず、解剖せずに荼毘に付され、死因が病死とされた方もいると予想されますので、その数は20人以上になります。

北海道北見市での事件は荼毘に付されていたんですね。

 北海道北見市の事件では若い男性が風呂場で亡くなっていましたが、それについては病死と処理され、解剖されませんでした。その数カ月後に同じ風呂場で、そこに引っ越してきた男女が死亡しました。警察も2人揃って心不全とは言いにくいので、解剖に回し、一酸化中毒死であることを突き止めることができたのです。しかし、最初の若い男性を解剖し、一酸化炭素中毒と判明していれば、ガス湯沸かし器の故障に早い段階で気づけたでしょうし、その後2人の被害者を生むことはなかったかもしれません。メーカーのパロマガスに責任があるのはもちろんですが、安易に「犯罪性なし」と判断してしまう警察を許容してきた死因究明制度を放置している日本政府にも責任があると思います。
 

足立区首なし女性焼殺事件

先生ご自身が解剖に当たられた事件で印象に残っているものをお聞かせください。

 私が直接、解剖したものではサリン事件が大きな事件でしたが、そのほかに足立区首なし女性殺人事件というのもありました。首都圏で発生した連続強姦殺人事件で冤罪のヒーローとされた小野悦男が女性を殺害した事件です。小野悦男は冤罪のヒーローから一気に本物の犯罪者となったのです。これは1996年に起きた事件で、私もまだ若かったですから、色々と勉強になりました。

どのようなことを学ばれましたか。

 死因について見込み捜査がありました。その中で法医学者が客観性を維持することがいかに大変なのかを思い知りました。警察や検察は「死因が首絞めだと断定できるなら、犯人を逮捕して、遺族の恨みを晴らせるのに」といった独特の正義感から「死因がこうあってほしい」と願って鑑定人に接してきます。しかし、警察の言うことをそのまま聞くのは良いことではありません。この事件では、最初に発見された死体は頭部が切断されており、頭部は見つかっていませんでした。頭部以外の部分に外傷がないので、私としては首絞めか頭部外傷、薬物による殺害の可能性があるのではないかと思いましたが、捜査当局は早い段階でほかの古株の先生に意見を聴取して、あろうことか、肺の組織検査の結果だけで首絞めであると考えるようになりました。そして、私に対して、「他の先生が首絞めって言ってくれるのに、なんで先生はそう言ってくれないの?」と言ってきたのです。数カ月後、腐敗した頭部が発見され、頭蓋骨が骨折しているのが分かりました。結局、バットで頭部を殴ったことで死亡したことになるのですが、それ見たことかと思いましたね。正しいことは正しい、分からないことは分からないと言わないと、とんでもないことになると思います。
 

千葉大学附属法医学教育研究センター

2014年に千葉大学附属法医学教育研究センターが開設され、先生が初代のセンター長に就任されました。

 従来の法医学教室を軸にして、互いに連携する法病理学、法中毒学、法遺伝子学、法歯科学、法医画像診断学、臨床法医学の6つの基幹部門を置きました。これまで通り、法医学的な諸検査を実施することはもちろんですが、教育や研究の充実を図るための拠点となっています。

千葉県警との連携はいかがですか。

 千葉県の解剖率は日本平均に比べ、まだ低いのですが、連携は取れています。あとは予算の問題ですね。日本全体を見ると、法医学者の数が人口に比べて多いところや、少人数でも熱心な法医学者がいるところの解剖率が高いです。解剖率を上げるためには、まずは、法医学者の数を増やして「うちは解剖できるから、どんどん持ってきなさい」と警察に言えるようにならなければなりませんし、それを警察庁、県警のトップから所轄の方までが理解する必要があると思います。

こちらのセンターは人材も豊富ですね。

 日本では多い方ですね。

皆さん、先生を慕っていらっしゃるんですね。

 それは分かりませんが、若い人が若い人を引き込んでいるように思います。千葉大と東大で連携しているのですが、現在、30代の医師が合計8名おり、大学院生の中で医師は東大1名、千葉大2名がおります。そのほか、歯科医師、看護師さんや獣医さん、薬剤師さん、臨床検査技師さんなど、医師ではない人も多くいます。

医師免許がないと解剖はできないですよね。

 解剖はできないので、医師以外の方は法医学の解剖以外の研究や業務に携わっています。看護師さんもこれから色々と関係していきそうです。2017年に閣議決定されたことなのですが、医師による死亡確認を看護師が代行できるようにされました。これは今、法医学会では大きな問題とされ、議論を呼んでいます。

在宅医療に関わる医師の負担を軽減するための変更なのでしょうか。

 いえ、そういうわけではなく、規制緩和の一環なのだそうです。しかし、医師が死亡確認しなければいけないという規制は犯罪を見逃さないためにも必要なものですから、少しおかしな議論になってしまっています。看護師の方々にはこの問題に関わる以上、死因究明制度をきちんと知っていただきたいですし、生半可な気持ちでいてほしくないですね。犯罪を見逃すきっかけになるかもしれないことですから、大いに不安があるのです。一方で、看護師さんは真面目な方々が多いので、死因究明制度のおかしさを理解してくれて、力になってくれれば良い方向に行くこともあるかもしれないと期待する面もあります。

ほかに看護師さんに期待されているのはどういったことですか。

 虐待に関連し、生きたお子さんを診察する場面では看護師さんが必要ですね。将来的にはそうしたところで頑張っていただきたいです。その意味では、このセンターには薬剤師さんや歯科医師の方々など、色々な職種の人がいるのがいいところだと思います。あえて、私が意図して募集しているわけではないんですが、面白いことに若い方が色々な方を呼び込んでくれているように思います。

研究に関してもお伺いしたいと思います。

 最近は自分ではほとんどしていないですね。若いときは活性酸素の研究をしていて、今は若い人に繋げないかなあと思案しています。

どういったきっかけで、その研究を始められたのですか。

 東大での恩師である高取健彦教授が「死蝋」の研究をされていたんです。腐った死体が極限までいくと白っぽい石鹸とか蝋燭みたいになるのですが、その中に脂肪酸の酸化物ができるんです。その研究の延長で、私に脂質酸化物の研究をしろと言われました。

その研究は法医学にどう繋がるのですか。

 私の研究は実は法医学というよりも病態絡みでした。例えば、動脈硬化や心筋梗塞といった病態では脂質酸化が起きるのではないかという仮説があるので、そこに主眼を置いてやってきました。それでシカゴ大学にも留学したんです。

このセンターからも留学できますか。

 もちろん、できますよ。しかし、最近は若い方が多く結婚したこともあって、なかなか行けないみたいですね。リトアニアに留学した人がいましたが、今はほかの大学で教授になっています。留学はした方がいいと思いますよ。
 

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著者プロフィール

岩瀬博太郎 近影岩瀬 博太郎

千葉大学教授

1967年生まれ。
東京大学医学部卒業。同大法医学教室を経て、2003年より現職。
14年からは千葉大学附属法医学教育研究センターの初代センター長も務める。
同年から東京大学大学院法医学教室の教授も兼務し、同センターとの連携を図る。
年間300体以上の解剖を行う。
日本法医学会理事。


バックナンバー
  1. 岩瀬博太郎教授コラム
  2. 03. パロマガス湯沸かし器事件
  3. 02. 千葉大学の教授に就任する
  4. 01. 法医学者を志す

 

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